祖父祖母の人生はドラマチック1
祖父祖母の人生はドラマチックである。
大正5年生まれの祖父は当時ガラス問屋御曹司として生まれたが3歳
の時に両親ともに亡くなり、番頭に店を乗っ取られ親戚中をたらい
回しになったという。
このガラス問屋は同時ロンドンで行われた万国博覧会にガラス細工
を展示したほどの会社であったそうだ。
私も実際の商品の写真を一度だけではあるが目にしたことがある。
大正15年生まれの祖母は「写真一枚」見せられ祖父と結婚する事
となり苦労を共にすることとなる。
やがて昭和20年3月父が生まれ律儀にも祖母は朝鮮半島に出兵して
いた祖父にわざわざ乳飲み子の父の顔を見せに山口県下関市から船で
半島に渡った。
当然戦時中、日本に帰る船は数台の船舶に囲まれての航行となったそうで、「機雷」に接触し隣の船などが沈没し命からがら日本に渡ったという。
日本に着いたら着いたで「焼夷弾」の雨の中、乳飲み子の父親を抱きながら逃げ回り故郷の里についたそうだ。
当時は個人の連絡手段などほとんど存在しない。
二人は約束していた。。。
祖母の里の、ある大きな木の根元に雨で濡れても大丈夫な様にと
「黄色い油紙」の中に
「二人の居場所を書いた手紙」
忍ばせ埋めている様にと。