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【エッセイ】そして均衡は保たれる(1/3)

 久方ぶりの文筆活動になる。諸君はご清祥極まりなく過ごしていることだろう。
 私か? 私はというと、相も変わらず詭弁と駄弁をこねくり回し、のべつ幕なしに売り言葉を買い続け、断腸の思いで罵声を被り続けている。それら全てを脳内で黄色い声援へと変換し、架空の大歓声を浴びる私は、今日も身勝手な荒唐無稽を、立て板に水の如く嘯く。女三人寄れば姦しいが、私一人いれば近所迷惑。わが人生に一片の有益無し。それでもここから、あふれ出る文才で狂瀾を既倒に廻らそうではないか。何だ? 詩を作るより田を作れ? うるさい黙れ私だ。

 今回も、金襴の契りを交わした我が同胞メガネ君。そして、極悪非道の我が宿敵ねくら氏との話になる。
 いつも通り、彼らの紹介から始めよう。かの有名なエビングハウスの忘却曲線いわく、復習がなければ、1か月後にはほとんどの物事が忘れ去られてしまうのだ。故に現在、読者諸君は彼らの事をほとんど覚えていないだろう。
 だが、その点は安心してほしい。筆を曲げ文を舞わしむ私だが、メガネ君とねくら氏の描写は一流である。その誇りを持って、幾度であろうと彼らを文章へ浮かび上がらせよう。そして思い出してもらう。
 次は忘れぬよう、脳裏へ彼らの名が焼き印で刻まれるぐらいの誇大表現を……。すまない。欲に駆られてはいけないな。では、始める。

メガネ君の魔力

 一言で言えば、メガネ君は凪である。波風立たぬ静寂の暴力で、たちまち周囲を澄んだ水色の世界に染める。ひとたび彼が襲来すれば、無音の魔力に皆ひれ伏す。深淵の威厳、放たれる威光、物言わずして佇む賢者に、稚拙な言葉など投げかける事ができようか。否、無駄口は禁物である。

「心があれば言葉は要らぬ。泰然自若、さもありなん」

 日々、戦々恐々だ。彼との遭遇で世界は止まる。その際に対峙すべきは己の心。目の前で静かに笑う彼に、真っ向から立ち向かってはいけない。精神を取り込まれたら最後、時限の感覚は消えている。

───とある日の会食だった。

「あれ? いつの間にこんな時間……」

「終電の時刻ですな。そろそろお暇いたす」

「我々が集まったのは何時だったか?」

「19時頃ですかな」

「くら寿司に、4時間、だと……?」

「ふっ」

「何を笑っている。して、どんな会話をしたかも覚えていない」

「不思議なものですな。あれほどケインズの経済学で盛り上がったというのに」

「やられた……」

 時限感覚の消失は、彼の魔力の初期段階の話。その深奥には、記憶まで抹消する恐怖の作用がある。私はケインズのケの字も発した覚えはない。木で鼻を括るような乾いた笑みを前に、跪くしかなかった。
 彼の生み出す領域に足を踏み入れれば、その後は弄ばれるばかり。恐ろしい男だ。本気を出せば国家転覆さえも狙えるだろう。

 しかし、同朋との会話を一字一句覚えている人間などこの世には居ない。されば、取るに足らない論争を、わざわざ頭に留めておく者など皆無。
 記憶喪失が彼の能力なのか、自然現象なのか、真実は曖昧模糊……としているようで、明白。

───自然現象だわ。

 以上が、彼との非日常的な日常である。我々の会話は、ピーマンと同程度で中身が無い。

 それと、一応触れておくが、メガネを掛けているからメガネ君だ。それ以上でも以下でもない。

ねくら氏の魔術

 ねくら氏は嗜虐的な才媛である。立てば非人情、座れば無節操、歩く姿は不道徳。その立ち居振る舞いは悪魔そのもの。女心と秋の空ならば、彼女の季節は常に秋。怒涛の勢いで移り変わる愛情が、不特定多数へむやみやたらと愛嬌を振りまく。

 今も尚、一笑千金の罠に陥った男どもが、奈落の底で堆積している。彼女はその屍の山を、戦績と呼ぶ。極悪非道の限りを尽くす所業に、悲哀と恐怖で涙を禁じ得ない。

「生きるって楽しい。可愛いよね。皆、転がされてて」

 彼女の手のひらでは、日夜、阿呆どもがコロコロと転がっている。転げ回った挙げ句、最後には奈落へ落ちていく男たちを、悪事の張本人は冷めた目で見て鼻で笑う。転がる者たちの気苦労などお構いなしに、今日も残虐な甜言蜜語で戦績を増やしていく。

───とある日の帰り道だった。

「ありがと! 家まで送ってくれて」

「致し方ない。季節は冬で、暗くなるのが早ければ、昨今の世の中はあまりにも危険人物で溢れている。淑女の夜道には、紳士の帯同が必要だろう」

「そっか。優しいよね。私、甘えすぎだな」

 ねくら氏は少し目を逸らす。その仕草を見た後、私は束の間、星の輝く夜空を見上げた。

───いや、優しさではない。ただ、お喋りが楽しくて、できる限り、その時間を延長したかっただけなのだ……。などと恥ずかしい事は言えぬな。

 私が物思いに耽る間、ねくら氏は同様に上を向いていると見せかけ、横目でこちらを一瞥した。

───優しさじゃない、お喋り楽しい、できる限り時間を延長したいだけ、って思ってるんだろうな。あと、私が可愛いって。分かりやす。

 ねくら氏は鼻で笑った。そして、話題を変える。

「それにしても、お話上手だよね。会って喋ったら毎回たくさん笑っちゃうもん」

 私はどうしてか、心がこそばゆくて、顔を隠すように俯く。

───それは……ねくら氏のおかげである。リアクションも、合いの手も、心地良い。会話の広げ方も上手い。ついつい喋ってしまう……。

───リアクションも合いの手も心地良いし会話の広げ方も上手、つい喋っちゃうのはねくら氏のおかげ、って思ってるんだろうな。あと、私の笑顔可愛いって。感情が透けて見えるわ。ウケる。

 ねくら氏は鼻で笑った。表情を整えてから私の方を見る。

「またすぐ会おうね!」

「そ、そうだな」

 私は澄んだ冬の空気を吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。

───名残惜しい……。楽しい時間もこれで終わりか。やはり、彼女と過ごす時間は幸せである。数時間が一瞬のようだ。ただの友達と分かっていても、まるで、恋人とデートしているかのような錯覚。私も、転がされている人間の一人、なのかもしれないな。全く、哀れな男だ。だが、それでいいと思ってさえしまう。

───名残惜しい楽しい時間はこれで終わり彼女と過ごす時間は幸せで一瞬、まるでデートしている錯覚、自分も転がされている人間の一人だし全く哀れな男だがそれでいいと思ってしまう、って思ってるんだろうな。あと、やっぱり私が可愛いって。やば。ウケる。何こいつ、激おもろ男やん。

 あまりにも面白くて、ねくら氏は鼻で……。

「笑うな!!!!!!!!」

「……あれ? 気づいてた?」

「人の心を読み漁っては、毎回毎回鼻で笑いやがって。間髪入れずに倍速で再生すんな! 句読点入れろ、ボケが!」

「楽し」

「楽しむなこんなもん……」

 危うく、私も屍として戦績の一つになるところであった。

「あと、ちょっと盛るんじゃねえ!! 可愛いなんて一回も脳内に出てきてないぞ!!!」

「まぁまぁ、そう怒りなさんな」

「冬の夜の雰囲気楽しんでたんだわ。俺の淡い風情を返せ」

「簡単だね。ずっと引っかかったままでも良かったのに」

「ふざけんな、不純異性交遊女が」

「失礼だなぁ。純愛だよ?」

「そんな訳あるか」

「えへっ。あらら、それにしても、だいぶキャラ壊れちゃったね」

───お前のせいだわ。

───お前のせいだわ。あとお前可愛いな。

「読むな!!  盛るなぁぁあ!!! 」

 ねくら氏は、歪な笑い声をあげ、ひたすらに挑発的な態度で羞恥心を助長してくる。怒髪天を突きそうな勢いになりかけた時、我々はようやく終点に辿り着いた。

「着いたぞ、帰れ早く」

「送ってくれてありがと。またね」

 彼女は必ず、姿が見えなくなるまで相手を見送る。振り返った相手と、もう一度目が合う事を見越して。離別の悲しみを訴えるかのような素振り。意図的な行為なのだろうが、如何せん自然な動作である。男の勘違いも生まれて然るべきだろう。真髄は別れ際に在り。才媛は、最後の最後まで魔術を惜しまないのである───。

 凄惨たる時を潜り抜け、私はようやく帰路についた。ねくら氏の相手は骨が折れる。喋り口調が崩壊した。今後は抑えねばならない。

 ちなみに、詳しくは説明しないが、彼女は意外と根暗だったりする。よって、ねくら氏である。どこの誰が名付けたのかは知らない。

私だ

 私の自己紹介は一言だけにしておく。稀代の文筆家だ。これで充分だろう。


形勢逆転カプチーノ

 11月。とある休日。
 ねくら氏と私はカフェでランチをすることにした。四人掛けの席に向かい合って座る。注文を待つ間も、我々はお喋りに余念がない。

「今年のクリスマスは何するの? 私は彼氏と会うけど……」

 クリスマスには二種類の人間がいる。必然的に予定が入る者と、必要以上に明るく染まる街へ電気の無駄遣いを忠告する者である。ねくら氏はもちろん前者。私はもちろん後者。聞かずとも分かる周知の事実を、彼女は攻撃のためだけに聞いてくる。だが、私は抵抗した。

「よ、予定ならあるぞ」

「ふーん。誰かと過ごすの?」

 一瞬だけ目線を逸らし、思案する。

───無いとは言いたくない。何か良い作り話を……。

「やっぱり無いのか。いいよ無理しなくて」

 抵抗は失敗した。

「もう貴様の前で喋りたくない」

「ごめんごめん。もう読まないようにする」

「大体どうやってやってるんだそれ」

「みんなに出来る訳じゃないよ。簡単で分かりやすい人だけ。顔と声でなんとなく読める」

 簡単で分かりやすい……。成人男性がここまで虚仮にされるのも珍しい。率直過ぎる言動を許す我が体たらくは、情けないこと極まりない。だが、度量が大きい人間の、さがとも言える。何も重く受け取ることはない。あくまで彼女にとっては、私が簡単な人間であるということ。それだけのことだ。

 基本的に、私に対する世の一般女性の評価は、ミシュランで二つ星を獲得するぐらいには高いだろう。二つ星の意味するところは、「遠回りしてでも訪れる価値がある素晴らしい料理」である。数多の女性が、遠回りしてでも私を訪れたいはずだ。
 しかし、三つ星とまではいかない。三つ星は「そのために旅行する価値がある卓越した料理」である。余程の事が無い限り、三つ星はつかないだろう。出過ぎた発言はしないのが紳士。控えておくことにする。

「なら、メガネ君は読めるのか?」

「メガネ君はできないよ。あんまり表情に出ないし、そもそも彼の心を読もうだなんて、恐れ多くてできません……」

「随分と扱いに差があるな」

「当たり前でしょ? 立ち姿が真っすぐで格好良くて、たまに頬っぺた膨らましながら何か考えてる時が可愛くて、ミステリアスだけどその中に愛嬌のアクセントがあるというか……。あんなに素敵な男性いないから!」

「途轍もない熱量だ」

「メガネ君が輝いてる場所なら、私は世界のどこへだって飛んで行って見に行く」

「……三つ星かよ。え、じゃあ俺は?」

「扱いの簡単な人間」

 注文の多い料理店みたいな言い方である。少なくともミシュラン二つ星への対応ではない。私の話では表情が曇り、メガネ君の話では高級フレンチを食したかのような喜びの饒舌ぶり。一生を捧げようと挽回できないほどの圧倒的大差がついていた。

「評価基準を教えてくれ」

「だめだよ。女性にそこまで聞くのは。ね、メガネ君!」

「野暮ですな」

「いたの!?」

 いつの間にか隣の席に賢人が鎮座していた。

「ありがたく拝聴しておりました」

「いや、声かけてよ。挨拶は無駄口じゃないでしょ?」

「こりゃ失敬」

 ねくら氏が険しい目つきになる。

「気付かないのがいけないんだよ?」

「俺が悪いのか……?」

 三人の鼎談が始まれば、必然的に2対1の構図となり、私の劣勢となる。物言わぬ賢者のプレッシャーに潰され、才媛の口撃で蜂の巣にされる未来が鮮明に目に浮かぶ。
 しかし、この時私は奇跡的に勝ち筋を見出した。羽生名人並みに手が震えだす。

「メガネ君は、クリスマスに予定あるのか?」

「……」

 賢者は口を結んだままであった。

「ちょっと、メガネ君に変な事聞かないでよ」

「変な事? 別に予定があるかないか、聞いているだけだ」

 店員がやって来て、ホットジンジャーとキャラメルラテのカップがテーブルに置かれる。束の間、会話の空白が生まれる。我々の間にはジンジャーとラテの湯気が揺蕩う。

「追加でカプチーノをお願いしてもいいですかな」

「かしこまりました」

 店員はテーブルから去っていく。

「え、カプチーノ注文するの可愛い……」

「いやはや、外もだいぶ冷えてきましたな。温かい物が飲みたくなってくる」

「ほんとだね! 私たち寒いの苦手だから大変だよね! メガネ君はさ、季節だったらどれが好き? 私、メガネ君には秋が似合うと……」

「逃がさないよ?」

 割って入り、会話を止める。再び、鼎談の進行に一拍が置かれた。会話が本筋から外れそうになれば、すぐさま戻す。その気概が今の私にはある。殊勲を上げる千載一遇の好機。離すわけにはいかない。

───虚心坦懐? 明鏡止水? そんなキャラもここで終わりだよ、メガネ君。君と俺の立場は今日で大きく変わるだろう。

 自分の勝てる場所へ二人を連れ込んだ喜びに、私は全身が打ち震えていた。

 ねくら氏は、両手でカップを持ち、キャラメルラテを口元に持っていく。一度ラテを啜った後も、カップを置かずに持ったまま。少し俯き、上目遣いで斜向かいのメガネ君をそっと見ている。

───なんか変な空気になっちゃった……。

 メガネ君は微動だにしない。木でできたテーブルの木目をじっと見つめている。

「……」

 状況を整理しよう。私の予測だと、メガネ君にはクリスマスの予定が無い。そして、メガネ君にも男としての矜持があるのだろう。きっぱり予定が無いと、明け透けにするは難しいようだ。
 一方、ねくら氏はメガネ君が推しである。分かりやすく言えば、メガネ君のファンであり、その美しく華麗な様だけを眺めていたいのだ。しからば、メガネ君が格好悪くなる瞬間など、見たくないのである。

 メガネ君は初手を間違えた。はっきりと予定が無いと言えば、会話は自然に流れたものの、彼は口を噤んだ。そのために、メガネ君のクリスマスに触れていいのかどうか、探り合う状況が発生。私に有利な領域が展開されたのだ。
 彼の持つ魔力は、この時点で完全に消滅。威厳も威光も、今の彼には感じられない。

「っで? クリスマスの予定は?」

「……」

 賢者は何も言わない。こちらを見ない。少し眉を上げ、目を見開き、各々で察してくれとの態度を取る。うやむやにしようとする。しかし、この時、ねくら氏は自らの特技を思いがけず使用してしまった。

───あ……。ない。 完全に予定無いわこれ……。予定無いけど、言うの恥ずかしくて黙ってるだけだ……!! どうしよ……。

 ねくら氏は方針を転換することにした。ここから自分はメガネ君の援護ではなく、全力で擁護へ回るべきだと。再び、話題をずらすことに思案を巡らし始める。可及的速やかに領域からの戦略的撤退を図った。

「あ、ホットジンジャー美味しそうだね」

 私は、ねくら氏の一言から読み取れる情報を見逃さなかった。焦りから出た、分かりやすい逃げの一手。彼女はメガネ君を擁護している。だが、そう易々と逃げられてたまるものか。今日の私は、掴んだら離さない。ねくら氏の発言を無視した。

「じゃあさ、二人で当ててみようよ! メガネ君にクリスマスの予定があるかどうかを!」

 悪魔の台詞である。既にメガネ君の詰みを知っていながら、オーバーキルを狙う罪。メガネ君は相も変わらず木目を見つめている。私は、罪悪感が快感になっていた。

「じゃあ、俺は予定が無いに一票! ねくら氏は?」

 この時のねくら氏の苦虫を嚙み潰したような悔恨の表情を、私は生涯忘れることはないだろう。

「あるよ。多分ある気がする……。私はそう思う」

「なるほどねぇ。じゃあメガネ君、正解をどうぞ!」

 勝利が確定した。これまでの敗北は、今この時の為にあった。全ての不幸は一つの幸福へと繋がっている。私は思った。永劫回帰でまたこの瞬間に戻って来ようと。

「……」

「どうしたぁ? メガネくーん。答えないのかい?」

「誕生日……」

 声が小さくて聞き取れなかった。

「ん? 今なんて?」

「こちらを受け取ってほしい。誕生日プレゼントですぞ。久しく会えていなかったせいで、渡しそびれていたのでな」

「なっ……」

 私も、ねくら氏も、呆気にとられた。その刹那、領域が消えた。先ほどまでの勝利の確信が霧散していく。逆に、プレゼントを渡すため、ここまで口論を避けてきたメガネ君の懐の深さが目立つ形となった。

「あ、ありがとう……」

 趨勢を理解したねくら氏は、すぐさま気構えを切り替える。いつの間にか挑発的な笑みを浮かべていた。ここぞとばかりに援護射撃を加える。

「私も、プレゼント持ってきたよ? でも、あれか。今日は何か渡す雰囲気じゃないか……。残念。また今度に……」

「すみませんでした……!!」

 私の頭に走馬灯が流れ出した。汗が止まらない。どういうことだ。彼らはプレゼントを持ってきていた。ならば、今日は如何様な勝負をしても、彼らの勝利である。となると、この場所に集まった時点で、私の敗北は決まっていたことになる。

───だって、プレゼントは欲しいし……。

 メガネ君には、この逆転の勝ち筋が最初から見えていたのか。ねくら氏がメガネ君の心情を読み違えることも含め、全て計算済みだったのか。
 私はずっと、彼の領域内で遊ばれていた。突如訪れた絶望。対して、ねくら氏は楽しそうである。

「ふふっ。これは一本取られたねー」

 清々しい逆転を目にした彼女は、今にも大声で笑い出しそうになるのを必死に堪えている。そして、私に一言言い放った。

「いつから勝てるって錯覚してたの?」

 私は、膝に手を置き、俯いたまま何も言えなくなった。

「素敵な休日。ちなみに、私のクリスマスは演奏会に向けての練習ですな」

「メガネ君は奥が深いね。私、完全に勘違いしてた」

「それもまた一興」

 そこへ店員がやって来る。

「カプチーノでございます」

「どうも。ありがとう」

 メガネ君はさっそくカプチーノを啜る。

「今、この瞬間に飲むカプチーノは最高に美味ですな」

 ねくら氏は、喜色満面でメガネ君に尋ねる。

「美味しさ、星いくつですか?」

「三つ星を贈呈いたす。評価基準を述べてもいいですぞ。しかし、さすがに今は可哀想ですかな」

 メガネ君は今日初めて、はっきりと私の方へ顔を向けた。顔を上げて、目が合って、思い知った。自分は、ミシュランに、載れるほどの、人間では…なかった……。

 クリスマスには二種類の人間がいる。必然的に予定が入る者と、必要以上に明るく染まる街へ電気の無駄遣いを忠告する者。私は一生、後者であろう。

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