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20231229学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第23章-3 協同組合と日和見主義者

20231229
『三つのインタナショナルの歴史』

[協同組合にかんする日和見主義者の考え方]

戦争反対の決議の他にコペンハーゲンで大きな問題となったのは、階級闘争における協同組合ついてだった。協同組合の役割についての混乱は、第1インタナショナルと第2インタナショナルの歴史を通じて多くの偏向やセクト的な運動の基礎であった。協同組合の誤りの根本には、いつも一つの考え方があった。それは、協同組合が労働者階級の解放にとっての大きな道になるという考え方だった。
レーニンが書いた『協同組合について』という論文に、次のような記述がある。
「昔協同組合活動家の念願のなかには、多くの空想があった。まったくそれは、おかしいくらい空想的なことが多かった。だが、どうして彼らは、そんなに空想的だったのだろうか? それは、搾取者の支配を打倒するためには、労働者階級の政治闘争が基本的に、根本的に重要であることを、昔の協同組合活動家は理解していなかったからである」

レーニンは、党とその理論、綱領についてだけでなく、労働組合運動や、協同組合、婦人活動、青年の政治活動など、あらゆる労働運動に関する権威であった。そのためロシアの代議員団は、コペンハーゲン大会で協同組合についてのマルクス主義的な方針の決議案を提出した。
この決議案については、一部分に対してレーニンは厳しい批判をしている。それは、ジョレスが加えたものであり、「協同組合は労働者を助けて、生産と分配の民主化と社会化を準備する」というものであった。レーニンはこれに、「だんだん成長して社会主義になる」というベルンシュタイン修正主義の考えが潜んでいると感じ、彼とゲードは決議案を「生産および分配の機能を準備するのをある程度まで助ける」と修正するよう提案したが否決されてしまった。
レーニンは、委員会では決議案に反対票を投じたが、結局公開会議では賛成投票した。決議案には欠点もあったが、主要な点では、プロレタリア協同組合の任務を正しく規定したものであると判断した。

[カウツキーとレギエン]

カール・カウツキー(『ディー・ノイエ・ツァイト』誌の編集長で、エンゲルス死後の第2インタナショナルの指導的理論家)と、カール・レギエン (ドイツ労働組合運動の首領で、各国労働組合中央組織国際書記局の書記)との間で、1909年から1910年にかけて、ドイツである論争が起こった。それは、労働者の絶対的貧困化に関するマルクス理論が正しいのかどうか、ということであった。カウツキーは肯定し、レギエンは否定した。
だが、この論争の背後にあったのは、労働組合官僚たちの企てだったのである。彼らは、左翼小ブルジョア・インテリゲンツィアの威信を引き提げ、全社会民主主義運動の実際上の指導勢力として自分たちの影響力を強化しようという、ドイツの党内でも最も強力な修正主義者の一団であった。さらに、反党的「中央主義」でもあった。

カウツキーは、この頃にはすっかり中央主義者となり、右翼日和見主義者と楯となっていた。にもかかわらず、パンフレットの中ではマルクス主義を唱えていた。革命的な言葉を言うだけで行動は何もない中央主義者のやり方であると、レーニンは批判した。当時、ドイツ社会民主主義を蝕み、やがて第2インタナショナル全体を蝕むことになる重い病気となっていたのは修正主義的日和見主義という「ペスト」であった。しかしカウツキーは、右翼に警告するような言葉は何一つ言わなかった。ただマルクス主義の諸原則を型通りに述べ、修正主義が何ももたらさないことを指摘したり、激しい階級闘争とプロレタリア革命がやってくることを予見したりしていたが、実際には右翼に傾く議論しかしなかった。
カウツキーは、せっかちな左翼の心配をしていた。「気ちがいじみた蜂起を起こしたり……あてもなく支配階級を挑発して政治家たちに社会主義者への狂暴な怒りをかきたてる機会をあたえるようなこと」を決してしてはならないと、彼は党に警告していた。しかしこれは、全く的外れな指摘であった。ドイツの党では「気ちがいじみた蜂起」起こす左翼的な挑発の危険はないに等しかったし、逆に危険なのは右翼の方だった。労働組合や小ブルジョア層の修正主義者が党の戦闘力と闘志をこき下ろすようなことが起きていたのである。カウツキーの行為は、党にとって必要な攻撃力を弱めることにしかならなかった。

レギエンは、ベルンシュタイン修正主義を前面に押し出した。労働者の状況は資本主義のもとで根本的に良くなっているとし、それは今後も続くだろうと述べた。労働組合はすでに「前進への道をひらいた」というのである。レギエンの考えからは、資本主義を廃止し社会主義を打ち立てるという最終目標は、どこかへ行ってしまったようである。大戦の前にアメリカへ行った時などにそのような講演をしたことを、レーニンは鋭く批判した。
イギリスやアメリカの労働組合幹部が自分では社会主義者と称していても、実際には労働者にとっては経営主の代理人と同じである日和見主義的社会民主主義者であり、その程度は国によって違っていただけのことなのである。

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