「君は君らしく生きて行く自由があるんだ」
「アイドルとしてじゃなくて、アーティストとして聴いてんの」
アイドルにハマり出した思春期の男子中高生が、照れ隠しに言う常套句だろう。
だが、あの頃の僕は確かに、欅坂46を「アーティスト」として聴いていた。
初めて『サイレントマジョリティー』を聴いたときの衝撃は、今でも鮮明に覚えている。
その日は母親とトライアル(※めちゃくちゃ安いスーパー)に買い物に行っていて、母親がレジに並んでいる間、僕は確か週刊少年サンデーを立ち読みして待っていた。
名探偵コナンか何かを熱心に読んでいたその時、有線から流れてきたのがサイマジョだった。
魅惑的なイントロもさることながら、メッセージ性の強い歌詞にひどく心を奪われた僕は、帰宅してすぐに記憶の片隅にあるフレーズをGoogleの検索フォームに打ち込んだ。
そこで「欅坂46」というグループ、『サイレントマジョリティー』という曲を知り、そして彼女らがアイドルグループであるということを知った。
のどかな田舎で生まれ育ち、行政がその気になればいつでも廃校にできてしまいそうな小中学校で9年間を過ごした僕は、アイドルなどまったく興味がなかった。
ただでさえ少ない同級生に女子がほとんどいなかったこともあり、僕だけでなくクラスの男連中は皆その手のことには疎かったと思う。
アイドルや女優に限らず異性に対して何の感情も持っていない者もいれば、彼女が欲しいなどと言いながら実際は夜な夜な合法違法のサイトを駆け巡ってエッチなビデオを鑑賞しているだけのムッツリ野郎もいたが、とにかく僕らがアイドルというものに興味を持つきっかけはなかったのだ。
その後僕らも高校生になり、それぞれの場所で徐々に彼女ができたり叶わぬ恋愛にうつつを抜かしたりする者も出始めた。
しかし僕は、いつまで経ってもそういうことに興味が持てなかった。
皆が誰かの恋愛の話、他のクラスの可愛い子の話、時には下品な話で盛り上がっているとき、僕はいつも蚊帳の外だった。
わからないなりに何とか話を合わせようとしてみるものの、何が面白いのかわからず困ったことも何度もあった。
うまく返せないとき、皆がどこかつまらなさそうな顔をするのが嫌だった。
最も変態にして最も仲のよかった友達は「そういう人もいるでしょ」と言ってくれた。
しかし、次第に僕は「自分が皆と違う」ことに気付き始めることになった。
余談だが、僕は今でもその手のことにほとんど関心がない。
これに関しては、成長とともに様々な知識をつけたことによって自分の中で違和感や不安をすっかり解消できている。しかし、当時の僕は「皆が興味を持っていること(それも、人間の三大欲求の1つ)に興味がないのはおかしい」という不安に駆られていたのだ。
「自分が皆と違う」ことによる違和感やストレスは、次第に「生きづらい」という感覚へと変わっていった。
勉強ができたことや場の空気を読むのが得意だったこともあり、クラスの中では浮くことなく過ごせていたと思うし、実際楽しかった。
ただ、まったく異なる価値観や考え方を持つ大勢のクラスメイトの中に自分がいることにいつも違和感があった。
1人でいることは寂しく、悲しいことなのか?
大学進学が就職のための手段になっているのはおかしくないか?
なぜ、何事も他者との争いの上にしか成り立たないのか?
自分とまったく異なる価値観や考え方が「世間一般」「多数派」として存在するとき、僕はいつも自分を押し殺して溶け込もうとすることしかできなかった。
「世間一般」に倣わなければいけないのか?
「多数派」であることが正義なのか?
こうして日々積み重なった小さなズレが「生きづらい」という感覚に変わっていったのだと思う。
そんなことを思っていた頃に出会ったサイマジョは、いまいちこの世界に溶け込めていない自分を拾い上げてくれた。
このフレーズに、社会のどこにも居場所がないように感じていた自分にもスポットライトを当ててもらえた気がした。
あのときの自分は、確かにそう感じたのだ。
それ以降、僕は欅坂46の曲を「アーティストの曲」として聴くようになった。『二人セゾン』の美しさに心奪われ、『不協和音』のカッコよさにも魅了された。
平手さんというスゴイ人がいるということだけは知っていたが、それよりも曲が好きだった。世界観が好きだった。投げ掛けてくる言葉1つひとつが好きだった。
その後、受験勉強に追われていた僕は乃木坂46というオアシスを見つけ、あれだけ興味のなかったアイドルの沼になぜかどっぷり浸かることになってしまった。
ちょうどその頃から欅坂46に関するネガティブなニュースがいくらか耳に入るようになってきた。
平々凡々とした日々にささやかな明かりを灯してくれる、まさに「偶像」であるアイドルにすっかり魅了されていた僕は、知らず知らずのうちに、暗い話題を遠ざけるかのように欅坂46という「アイドルグループ」から離れていってしまった。
後々改名後の櫻坂46にドハマりすることを考えると、ここで一度離れてしまったことがとてつもなく勿体ないことだったなぁと思う一方、まっさらな状態で櫻坂46というグループに出会えたことでここまで好きになれたのかもしれないとも思っている。
最近、立て続けにメンバーが卒業するということもあり、久しぶりにYouTubeにサイマジョを聴きにいった。
サイマジョは、やはり名曲だった。
今の自分があの頃とはまた違った「生きづらさ」を感じていることもあり、いつまでも色あせない名曲に再び生きる勇気をもらった気がした。
ただ、今の自分はこの曲から、初めて聴いたときと異なる印象を受けたのだった。
なんだか、すごく悲しげな音に聴こえたのだ。
あの時トライアルで聴いた、希望に満ちあふれたサイマジョではなかった、そんな気がした。
眩しい光の中にぽつんと佇む影を見たような気分になった。
それは、自分が歳を重ねてたくさんの「つまらない大人」に出会い、自分ではどうすることもできない様々な現実を見たせいかもしれない。
あるいは、華々しいデビューを飾ったこのグループが辿ってきた数奇な運命をすべて知ったからなのかもしれない。
初めてサイマジョに出会ったときから今までの間に、あらゆることが変わってきた。
厄介な病気が流行り、物騒な事件が連日世間を騒がせ、自由が増えたはずにもかかわらず昔よりもずっと窮屈な世の中になってしまった気がする。
景気もどんどん悪くなり、昔のようにトライアルのチラシを見て安いと感じることも少なくなってしまった。
従兄が結婚し子宝に恵まれた一方で、小中の9年間を共に過ごした仲間の1人は昨夏に亡くなってしまった。
小中高大と優等生だった僕も、今や社会の劣等生と化しつつある。
でも、変わらない事実もある。
それは、僕にとってサイマジョが特別な曲であること。
そして、一般的な形とは違えど、僕が欅坂46というグループのファンだったことだ。
あの日検索フォームに打ち込んだのは、このフレーズだったと思う。
「世間一般」になろうとしてもなれなかった自分だ。
先のことはまったくわからないけれど、社会の中で自分らしく生きていければ、それが一番自分にとって幸せなことなのだと思う。
そして、いつの日か、どこかの誰かのためになるようなことができればいいな。
と、思っている。
きっと、また聴きにくるだろう。
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