見出し画像

なぜ小学生はランドセルなのか

長野恵一郎は今年で48歳の独身男である。

毎朝、家から徒歩10分ほどにあるバス停に、バスが着くピッタリ17分前に到着し、自家製のいちごジャムをたっぷり使ったおにぎりを食べ、同じ時間にバスへ乗るJKに「おはよう」と声をかけ、運転手に一番近い一人席に座る。

家からバスに乗って40分ほどの最寄りの駅へつき、電車に乗って職場へ向かう。週5日電車通勤をするのにも関わらず、毎朝切符を買って電車に乗る。

電車に乗ってから20分、職場の最寄り駅につき、そこから徒歩5分ほど、決まってKANの「愛は勝つ」を口ずさみながら職場に入る。

仕事は定時で終わる。仕事が終わった後、彼はSMAPの世界に一つだけの花を口ずさみ、駅前のコンビニで決まってプレミアムモルツとピーナッツを買い、背伸びをしながら電車に乗りつつ、鞄を上げ下げし腕の筋肉を鍛えている。ちなみに彼は高校を卒業した後でも握力50をキープしている。帰りのバスでも運転手に一番近い席に座り、降りる際には運転手に、暑い日であれば

「今日は暑い日ですね」

寒い日には

「今日は寒いですね」

特に普通の日であれば

「今日は素敵な日でしたね」

と言ってバスを降り、自宅までスキップで帰っていた。

恵一郎はこの世界の誰よりもルーティンを欠かさない男である。

高校を卒業後、今の会社に入ってから、会社がある日は1日も欠かしたことがない。大雨の日でも、台風の日でも、なにがあってもこの朝のルーティンを欠かしたことはなかった。JKでさえも、3年経ってその子が卒業してもラッキーなことに違う子がそのバス停に並ぶのだった。

ある日、いつも通り家から徒歩10分程のバス停にきっかり17分前につき、いつも通り自家製のいちごジャムをおにぎりに塗って食べていると、

「おにぎりにイチゴジャムって合うんですか?」

とJKがきいてきた。

恵一郎は、

「美味しくはないですよ」

と答えた。

彼にとって毎朝の朝食はルーティンのためにあるもの。

味や栄養素を気にしたことは一日もなかった。彼自身、炊き立ての白米にいちごジャムが合わないことは重々承知である。しかし、30年前の初出勤の日、朝食にいちごジャムおにぎりを間違えて選んでしまってから、なにも疑問を持たず、そのある種苦行とも言える毎朝のおにぎりを欠かしたことはなかった。

そんな中、ある日突然、そのJKに指摘されてから、

彼の中で何かが壊れた。

そもそもなぜ17分前なのか?なぜ非効率な切符を買うのか?なぜ愛は勝つなのか?Greeenのキセキでもいいのではないか?そもそも僕はサカナクションの方が好きだ。KANなんて他に一曲も知らない。別に歌詞が好きなわけではない。バスの運転手から一番遠い席に座ったって、誰かがそれを見ているわけではない。切符ではなくSuicaにしたところで、誰にも迷惑はかけないだろう。

その日も一応いつも通りのルーティンをこなし、家に着いた。

長野恵一郎、48歳独身。ポツンと一人、果たして今までのルーティンのなにが楽しくてやっていたのか、と改めて考えた。

しかし、彼としてもなぜこのルーティンが決まったのか、何かに取り憑かれたように毎日このルーティンを守ってきたのか、なぜ今日あのタイミングでJKが聞いてきたのか、考えれば考えるほど沼にハマって出られなくなった。

次の日は会社が休みだったのもあって、彼はひたすら考え、考え、しかし答えは出ず、考え、考え、たまに愛は勝つを口ずさんでみたり、家の中でスキップをしてみたり、ふと、自分は陽気な48歳独身だな、と笑ってしまったり、とにかくどう考えても答えが見つからないのである。

なぜ、このルーティンを続けるのか、なぜ毎朝のおにぎりにいちごジャムをつけるのか、答えが出ないまま休みが終わってしまった。

翌朝、一応いつも通りバス停に17分前に着くと、そのJKがいた。

恵一郎はふと、そのおにぎりをJKにあげてみた。

JKは、

「美味しくはないですね」

と言った。

そこから恵一郎とそのJKの交際が始まった。

交際を始めてから、数年。恵一郎は今までのルーティンを、疑問を持ちながらも毎回続けていた。

ふと、デート中にそのJKが、

「なぜ、毎回ルーティンを欠かさないのですか?」

と質問をしてきた。

恵一郎は、

「数年前、君にいちごジャムのおにぎりは美味しいのかと聞かれてから、ずっと疑問に思っている」

と答えた。

すると、

「小学生の時、私はいつもランドセルを背負って学校に行っていました。でも、小学生はランドセルを背負わなくてならない、なんて決まりないですよね。元々ランドセルは江戸時代の軍人が使っていた、背嚢(はいのう)、という鞄が、明治時代になって子供たちが学校に行くときのカバンとして活用されたものなんです。昔の人が使っていたものを今でも文化として使っていますが、特に決まりではないんです。確かに利便性が高いですし、周りの目も気になりますので、わざわざランドセル以外のカバンを持っていく必要もないのですが、明確にはランドセルである必要はないのです。同じように、けいちゃんがわざわざランドセルを持つことに疑問を持ったのであれば、別にいつも同じランドセルを背負わなくてもいいんですよ。私が生クリームおにぎりでも作って持っていきましょうか」

次の日から、恵一郎は、愛は勝つを口ずさむのをやめた。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集