代表取締られ役窓際社員 part1
青空を見て仕事をするのは、清々しい。
私は代表取締られ役窓際社員。
2012年、東日本大震災の頃に就職した、ピチピチの30歳だ。
不況の煽りを受け、就職活動に失敗。
そこそこの大手企業に行けるほどにはネームバリューのある大学に通っていたつもりだったが、個人としての力が及ばなかったらしい。
「本当は採用したかったんだけど、今年は震災の影響で不況だから、せっかく東京まで来てもらったのに、申し訳ない」
そんな電話、わざわざいらなかった。
しかし、それが礼儀であり優しさなのだろう。
誰も悪くはない。
誰が悪いと決めるなら、選ばれる努力をしなかった私だろう。
就職先は、プレハブ小屋のような、小さな町工場のような、卸会社兼メーカーだった。
当時、商品のことはよく知らなかった。
工場のおじさん社員に「この商品の特徴を答えてみろ」と言われ、商品名を聞いてもその画すら思い浮かばなかった。それくらい、就職しても興味がなかった。
本当は、大企業に行けるはずだった。
時代に邪魔されたんだ。
自分のせいじゃない。
こんな仕事には何の意味もない。
仕事を終え、帰ろうとすると、
「何で帰るんや?他に仕事してる人おるやろ?周りが見えてないんか?自分の仕事が終わったら、他の部署にも『何か手伝えることはありませんか?』と聞くのが普通とちゃうんか?」
と、間髪入れず罵声を浴びせられた。
ロクに残業代も出さないクセに。
ただ働きさせやがって。
典型的なブラック企業だった。
尊敬出来る人もいなかった。
皆、会社の愚痴ばかりを唱えていた。
その言葉に流され、会社が悪いと思うようになった。
その他にも積もり積もって、耐えられなくなった。反発した。
辞令が出た。
2012年7月1日付で、以下の者を福岡営業所営業部営業第一課に異動することを命じる。
再生紙85%
一人暮らしをしたことがなく、何が何だかわからなかった。
辞めようと思った。
これは明らかに左遷だ。
こんな会社に居たって、良いことなんてきっとない。
でも、辞める勇気がなかった。
何のキャリアもない、新卒3ヶ月の状態で再就職は出来るのだろうか。
という不安があった。
福岡に行かざるを得ない。
一大決心をし、荷物を段ボールに詰めた。
「期待されていると思い、向かいます」
会社の朝礼で一言を求められ、絞り出すように宣言した。
つづく
かもしれない