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なか卯の店内でクマムシの『あったかいんだからぁ♪(和風Ver.)』が流れている話

チェーン店のBGMはセンスが皆無だ。特に疑問なのが、某そばチェーンや某居酒屋チェーンの「和」を前面に押し出した三味線POPミュージックである。三味線音楽、和太鼓音楽などはいいとしよう。お店のイメージ戦略もあるだろうから、わからなくはない。でもどうして笛、和太鼓、三味線で星野源の『恋』を演奏するのだ。選曲でJ-POPに媚びを売るなら「和」のコンセプトから考え直せ。せめて演歌か歌謡曲だろ。相性的に。



さて、『おいしいコーヒーの真実(2006)』を鑑賞した。やっとという感じだ。ちなみに日本での公開は2008年のようだ。


数年前にコーヒーに関する本をいくつか読み、そこからコーヒーにはまった。いや、正確に言えば「なんとなく身近にあったコーヒーについて興味がわき、自分で淹れるようになってからコーヒーの本を読み始めたら、すっかりコーヒーの世界に魅了されてしまった」という感じだ。


コーヒーは、生鮮食品・飲料品としてだけではなく、その歴史にこそ面白さがあると思っている。そして世界中の人々に愛される嗜好品でありながら、科学的研究が(ほかの食品と比較して)進んでいない点も魅力に一役買っている。「コーヒーはどこから来たのか」「コーヒーとは何か」「How to make a Perfect Cup of Coffee」というのが正確にわかっていたら、きっとここまで面白くない。


ということで前置きが長くなったが『おいしいコーヒーの真実』を観た。内容としてはこれまで読んだいくつかの文献にも記載があったもので、何か新しい「真実」を知ることができたわけではないが、文字を追うのとドキュメンタリー映像を見るのとは腹落ちのレベルが異なるようで、改めて強い衝撃を受けてしまった。


あれから15年経った。現在ゆがんだ市場はどのように良い方向に進んでいるのだろうか。そしてぼくには何ができるのだろうか。今日、あした、自分が描いた将来のビジョンの中で、いったいぼくに何ができるのだ。


いろいろと考えてしまった。



『コーヒー生産者たちはおいしいコーヒーを知らない』

これはコーヒーの(特に焙煎の)世界において日本では最も有名と思われる、あるお方の言葉だ。



ここで言う「おいしいコーヒー」とは、単に味を指すわけじゃないのだ。そんなことにようやく気付かされた。


「強い言葉」は発せられた後でもなお、時空を超えて生命活動を続ける。







世界からコーヒーが消える。それはつまり、世界から哲学が消えるってことだ。

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