【エッセイ】非成功者の自己啓発本
noteを日々書いていると、自然と自己啓発的な内容になることが多い。
自分の生き方とか考え方、そういう類のものが増えてくる。
これは、やっぱり人生が上手いように楽しいようにやりたいように生きれていないからだろうかと思う。
上手く行っていないから、上手く行くようなやり方を模索する。その中で、思いついた方法や考えをnoteに書いていく。
そんな状況が続いている。
とは思うが、ここで疑問が生まれる。
普通自己啓発本を書いている人は成功した人ばかりなのに、特に大きな成功をしたわけではない自分が自己啓発まがいのことをなぜ書いているのだろうか。それは間違っているのだろうか。
自己啓発本を書く人はその世界で一流の人が多い。
有名企業の創業者、一流スポーツ選手、研究者、起業家、有名芸能人、職種は様々だがその道のプロである程度成功した人だ。
ただ、自己啓発本を書く人に成功者が多いのは当然だろう。誰しも成功した人の考えや生き方を知りたくて読むのだ。誰か知らないよくわからない人の自己啓発本なんて誰も読もうとは思わないだろう。
だがそれだけでは面白くないなとも思う。
非成功者の自己啓発本があってもいいじゃないか。
自分はこう思うけどみんなどうだろうとか、他のやり方もあるんじゃないかとか、読者と一緒に成長するタイプの自己啓発本があっても面白い。
そもそも成功者の自己啓発本は答が決まっていることが多い。自分の成功体験に合わせて、こうしたらいいああしたらいいと書いてある。
恐らくその人の中ではそれが正しいやり方だったのかもしれない。しかし、人それぞれ置かれている状況は違うし、真に誰にでも当てはまるような最強の人生の公式があるわけではない。
なので、自己啓発の意見については、成功者が言う意見と非成功者が言う意見に優劣はないのではないか。その意見を捉える人の価値観によってその意見の価値が決まるだけなのではないか。その意見がより説得力のあるものだと思わせるためだけにネームバリューはあるのではないか。
むしろ成功体験を補強するための後付けの考えもあるのではないか。成功した後に自己啓発本を書いたって後出しじゃんけんのようなものである。こういう方法で10年後成功しますと予告しておいて、後で成功する方がかっこいい。
なので私は成功する前に、自己啓発本を書きたいと思う。私が何かで成功するかは不明だが。