スロバキアーブラチスラバ②

司馬遼太郎の「ロシアについて」を読んだ。
旧ソビエトのここスロバキアで何か得られるものはないかと読んだ。
国名としてのロシアではなく、もっと観念的なロシアについて周囲との関係性から解説している本だ。特にアジアとの関係性が重点的に書いてある。遊牧民族や、千島列島の先にいた我々日本人などについてである。
ヨーロッパとの関係性についてはあまり書かれていない。銃火器の伝来がロシアと遊牧民の関係性を一変させたという部分は面白かった。

ただスロバキアで読む本ではなかった。ソ連に組み込まれていたが、その以前はハプスブルグ家のマリア・テレジアがかつて一時期住んでいたように西洋との関係性の中で理解する必要があると思う。

ただ、今日のロシアという国家を理解するのにこれは良い。また、国家は突然無から生まれ出でるものではなく、人類が誕生した瞬間から連綿を受け継がれてきた歴史の連続性のなかで出来上がるものであるという事実を再確認できる。

読み終わった本を旅先で持ち運ぶのも面倒なので、ここブラチスラバにある宿に置いていこうと思う。誰か日本人が泊った際に気づいて読んでみてくれても面白いし、スロバキア人で日本語を勉強している奇特な人が、ロシアについて日本人流の捉え方を学んでくれても面白い。

最後に司馬遼太郎の素晴らしい文章の一節を書き写しておきたい。
私が以前から考えていた、自己の価値判断基準を自己の中に持つということと重なる部分である。これが謙虚や誇り高く生きることに繋がり、知足を得られる。

謙虚というのはいい。内に自己を知り、自己の中のなにがしかのよさに拠りどころをもちつつ、他社のよさや立場を大きく認めるという精神の一表現である。
しかし、おびえというのはよくない。内に恃むものとして自らのよさを自覚せず、自他の関係を力の強弱のみで測ろうとする感覚といっていい。強弱の条件がかわれば倨傲になってしまう。

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