お遍路十一日目
今日はお遍路の前に参拝した高野山奥の院に行ってきた。
高野山奥の院では今も弘法大師が入定されて以来、永遠の禅定に入られており、今もおわすと信じられている。
奥の院は撮影禁止なので、写真はないが大抵の人は最期にあるお堂に入ると、その入り口から出てくる。しかし、お堂の左手にある閉まっている扉を開けて、お堂の裏側に行くと弘法大師の御廟の前まで行ける。
奥の院は何度行っても、その神秘的な雰囲気に癒される。はるか昔から厳然と静謐に存在している歴史を感じられる。
お遍路に行って私は変わったかと云うとそれほどでもない。
ただ、お遍路に行ったから徳の高い人間になれた、素晴らしい人間になれたと思い込むことの浅ましさに気づけた。
何かをしたから、人の性質が根本的に変わることもなく、今までの罪も消えない。
あくまできっかけであり、その後の人生に於いて、道を踏み外さないように生きていくのが重要なのだ。
そう考えると生きるというのは辛く厳しい道である。逆説的だが、だからこそ生きる意味ががあるのだ。
これからも誇り高く生きていこう。