感想:GREEN BOOK

今年度の第91回アカデミー賞作品賞を受賞したGREEN BOOKを観てきた。
黒人差別が未だ残っていた時代のアメリカでイタリア人バウンサーが黒人ピアニストと共に差別の色濃いアメリカ南部にツアーに出かける話だ。

最近日本では映画なのか唯の長編PVなのか分からない映画が流行っているが、GREEN BOOKこそが真の映画である。
私が暗に批判しているのはもちろんボヘミアン・ラプソディーだ。QUEENの音楽が優れていることなど周知の事実であり、その音楽的パワーに乗っかっただけの映画など到底映画とは呼べない。そもそもQUEENのことについて知らなかったミーハーなセンスの欠片もない日本人が映画でその素晴らしさに出会い、それを映画そのものの素晴らしさと勘違いしたに過ぎないものとは決定的に違う。

GREEN BOOKは黒人差別という根底のテーマがはっきりとある。
ピアニストでヨーロッパ(映画ではロシアということになっていたが)に留学し、クラシック音楽を学ぶとともに知識人として教育を受けたシャーリーがアメリカに帰国してから求められたのは黒人としての音楽であった。差別される黒人にも教育環境や住環境からなれず、白人にも肌の色からなれない孤独な環境に苦しむシャーリーはdignity(尊厳)を保つことで何とか世の中の不条理と闘ってきた。
彼と白人で黒人を差別しているが、イタリアなまりで貧しいブロンクスで暮らすバレロンガが出会い、お互いに友情が芽生えていく。

ブラックミュージックがこれでもかと使われているが、決してそれらが主題になることはない。ツアーの最後として訪れた会場で、シャーリーがレストランで食事することを断られ、バロレンガと黒人の盛り場に行きヨーロッパで練習した超絶技巧でクラシック音楽を弾くシーンなども音楽を特徴的に使用しているがそれまでの伏線があり、音楽が主題にはなっていない。

これこそが映画である。ボヘミアン・ラプソディーなど唯の長編PVである。その芸術性はQUEENの音楽に依存しており、映画である必要がない。

それにくらべてGREEN BOOKはブラックミュージックの軽快なサウンドと共に黒人差別という深い問題を取り扱っている。
これがアカデミーに選ばれたことは大変誇りであり、まだまだハリウッドの映画は捨てたものじゃないと証明してくれた。
日本の映画業界はボヘミアン・ラプソディーを有難がる愚劣な大衆が多いことを証明してくれた。GREEN BOOKがアメリカよりも半年遅れで公開され、アカデミー賞にノミネートされなければ公開されなかったであろう日本の映画業界は終わっている。芸術性も品性の欠片もない。

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