所信表明

スロバキアに旅立つまであと2日となった。一応持っていく物の候補出しは終わったが、それらの選別は手付かずだ。荷造りについては言わずもがなである。

まぁ忘れ物があれば向こうで買い足せばいい話で、それよりも無駄なものを持っていって鞄が重くなる方が辛い。ここでも知足が大事なのであろう。

スロバキアに何をしに行くのか様々な人に聞かれたが、政治的亡命や妻探しなどと言ってはぐらかしてきた。有島武郎の「或る女」に出てくる木部風に言うならば、人がいったい何が出来るのか(いや、本質的には何もできない)とニヒルに答えたりもした。

福井の山深くにある永平寺という禅寺で、ある僧侶が修行前の問答で一体何をしに来たのかと聞かれ、自分を見つめ直すためと答えているのを見たことがある。
私もそうである。

よく海外に自分探しの旅に出るとあるが、その真髄は海外の今までとは全く違う環境に自分を置くことで、そんな異文化の中でもぶれずに存在する自分を見つけ出すことだとおもう。
自分は世界中のどこを探しても自分の中にしかいないのだ。

どこにいっても変わらない、芯のようなもの、それが自分を自分たらしめるものだ。

それを見つけたなら人は知足の本質を得られるのかもしれない。

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