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「半自伝的エッセイ(38)」文庫本・文鳥・文

おそらく年齢のせいだと思うのだが、ここ数年徐々に小さな文字が読みづらくなってきた。まず文庫本を読むのが苦痛になった。できるだけ文庫本ではなく単行本を買うようにするのだが、文庫でないと読めない本もある。そんな時には仕方なく買うのだが、数ページで投げてしまったりする。

本屋に行っても本の背(タイトル)がよく判読できない。つまりなんの本が並んでいるのかがわからない。目を近づければ読めるのであるが、いちいち棚に顔を近づけるのは億劫である。しかも時間が掛かる。

さすがに眼鏡を変えようと眼鏡屋に赴いた。目の検査をしてもらったところ、近い場所と遠い場所の両方に焦点を合わせられなくなっているとのことだった。裸眼で近くが見えるので、遠くを見るためのレンズにするしかないが、遠近両用でなければ近くを見る際には眼鏡を上げるなどしないといけない。遠近両用は慣れないとしんどいし、一向に慣れない人もいるということなので、それは遠慮して普通の眼鏡にした。レンズを最新の視力に合わせたので遠くは見やすくなった。こんなに世界はクリアなのかと感動したほどである。しかし、眼鏡を掛けていると活字が読みにくいことには変わりがなかった。目が悪くなるのはもっとずっと先のことかと思っていたが、一方でこれが歳をとることかとしみじみ納得したりもした。

そんなこんなで目のことでに苦戦苦闘していたら、文鳥のことを思い出した。

私がまだ三十代の前半のことだった。清埜さんとどこかの駅でばったり再会した。清埜さんとはチェス喫茶「R」で知り合った。たしか少しだけ私のほうが年上だった。だから、再会した時に清埜さんは三十の手前ぐらいの年齢だったはずである。私がチェス喫茶「R」に行かなくなってしまったので、それきり会ったことはなかった。久しぶりということで二人で近くの居酒屋に入った。

清埜さんはあれから資格を取って看護婦さんになっていた。そういえば看護学校に通っていたことを思い出した。しばらく近況などを話し合っているうちに、唐突に「ねえ、藤井さん、私ちょっと困っていることがあるの」と相談めいた話を持ちかけられた。少し嫌な気がしたが、黙っているわけにもいかないので、
「どんなこと?」と尋ね返した。
「たくさん生まれちゃったの」
「えっ?」
「文鳥」
「文鳥って鳥の? その子供ってこと?」
「そうなの」
「どれくらい?」
「五羽」
「それは賑やかだね」
「私、夜勤とかあるでしょ。面倒見きれないの」
私はチェス喫茶で知り合った別の女性からセキセイインコを預かったことがあった。どうしてまた鳥なのだろうと思っていたら、
「一羽でいいから育ててくれない? むずかしい?」と、やはりそういう話だった。

妻を亡くしてから私は独りでは広すぎるマンションに住んでいたので別に文鳥一羽が増えたところでスペースのことは心配はなかった。思う存分飛んでくれても構わない。その頃は規則正しい生活を基本的にはしていたから文鳥をそれなりには快適に飼ってあげることもできそうだった。

ただし、私にはひとつ懸念があった。清埜さんはもしかしたら私にそこはかとない好意を抱いているのではないかということだった。それはチェス喫茶「R」の時にも感じていたし、居酒屋で目の前に座る清埜さんと話をしていても伝わってきた。私の自惚であればただの取り越し苦労だが、文鳥を引き取ることで清埜さんとの関係ができてしまうことを私は恐れていた。なにを贅沢なといわれそうだが、清埜さんであっても清埜さんでなくても、また別の女性と暮らしたりすることは私には難しそうだった。

しかし、私もどこか寂しかったのかもしれない。清埜さんから文鳥の雛を譲り受けることにした。もう親鳥から餌をもらう必要がなく、少しふやかしてあげたシードを自分で啄めるようにまではなっていた。羽はまだ生え揃っていなかったものの、すでにどこから見ても桜文鳥でしょという模様になってきていた。そのうちなんだか囀るようになった。そのことを清埜さんに伝えると「だったら男の子ね」ということであった。私は譲り受けた文鳥を文鳥だからという至って単純な理由で「ブン」と呼んでいたが、オスならそれでいいだろうということで、以後も続けて「ブン」と呼ぶことにした。

しかしそれが本当によかったのかどうか少し怪しいことにしばらくして気がついた。清埜さんの名前は「文」と書いて「あや」と呼ぶのであった。私が清埜さんを思って「ブン」と文鳥を名付けたと思われてしまう可能性もなきにしもあらずであり、実際、文鳥の名前を伝えると喜んでいるふうでもあった。清埜さんは文鳥の様子を見たいという理由で私のマンションの部屋に来るようになった。そして私たちはそれが自然なのか不自然なのか判然としないものの男女の仲となっていた。だが、私の煮え切らない態度に呆れたのか一年ほどして来ることはなくなった。

人間の事情とは無関係に文鳥のブンは順調に育った。部屋中を思うがままに飛び回り、私が出かける際には玄関まで飛んでついてくるまで慣れた。名前を呼べば返事をするし、ケージに入りたくない時にはわがままを言っていつまでも私の肩や頭に止まっていた。

そんなブンだったが、うちに来てから五年ほど経ったある日、毎日お気に入りでかならずしばらくそこで時間を過ごす本棚の本と本の隙間に飛んでいく時に、棚の本にぶつかって床に落ちてしまった。ちょっとした過ちだろうとその時は思ったのだったが、数日後には飛んでいる最中にあらぬ方向に旋回したりして、どうも自分が思ったように飛べていないようだった。季節の変わり目だから気温差で体調を崩しているのかと思ったが、食欲は以前と変わらないし、水浴びも毎日欠かさずしていた。ある日、餌を啄んでいる時にブンが変な角度で餌を見ていることに気づいた。ちょっと首を傾げていた。じっとブンの様子を観察していたら、右の眼球の中央付近が白濁していた。もしかしたら、目が見えないのか?

私はすぐに図書館に行って、文鳥や小鳥について詳しく書かれた本を手に取った。そこには私の知らないことが書かれていた。文鳥は歳をとると白内障になりやすいと。間違いない。うちのブンは白内障だ。どうすればいいのか? その本にはどうしようもないと書かれていた。それから一ヶ月ほどしてブンはまったく飛ばなくなってしまった。手のひらに載せておそるおそる左の目を見ると、左の目も中央付近が白濁していた。ケージの中の餌や菜葉の位置はわかるようだから、まったく見えなくなってしまったわけではなさそうだったが、明らかに動きが減った。ケージから出してももう独力ではどこへも行けなくなってしまった。だいたい行きたい場所は決まっていたので手のひらに載せてそこまで連れていくというのが私の日課となった。

おそらく大型連休前か明けの初夏のことだったと思う。朝、夜の間中ケージにかけておく薄い布を外すとブンは亡くなっていた。マンション暮らしでは埋めてあげられる土地はない。ベランダを見回すと土だけが残ったやや大ぶりの植木鉢があった。たぶん妻がハーブかなにかを育てていたもので、彼女が亡くなってからはそれっきりになっていた。土が完全に乾いてしまい固まっていたので、たっぷりの水を含ませてから割り箸でほぐしていった。そこにブンを埋葬した。

すっかり音信不通になっていた清埜さんであるが、ブンが亡くなったことは一応は伝えておいたほうがいいような気がして電話を掛けた。すると向こうの電話口からは「遅いよ。もう私、結婚しちゃったから」という声が聞こえ、一方的に電話を切られた。

ブンの植木鉢には土が乾かないように数日おきに水をあげていた。すると、しばらくすると、なにやら植物の芽のようなものが生えてきた。雑草かなと思ったが、雑草だろうがなんだろうがブンの鉢から生えてきたのだからそのままにして育てることにした。水分を切らさないようにしていたら芽はみるみるうちに伸びてきた。葉も出てきた。ここまで育つとなんとなく見覚えのある植物だとさすがの私でも気がついた。おそらくそれはイタリアンパセリだった。たしかに妻が育てていた。だとすると種が土の中に残っていたのだろうか。

本格的な夏になるとイタリアンパセリはこんもりと茂ってもう料理に使えそうにまでなった。数本切ってキッチンに行った。久しぶりにペペロンチーノを作り、刻んだイタリアンパセリをたっぷりとふりかけた。いい香りがした。文鳥が水浴びをするとその後に独特の匂いがするのだが、ほんのりとその匂いがしたのはおそらく気のせいだったのだろう。


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