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プーシキン伝記第3章 南方 1820-1824㉔

 この時期に詩人が作った政治的な抒情詩は、デカブリストのサークルにおける彼の特別な立場を確実なものにした。《短剣》、《ナポレオン》、《忠実なギリシアの女よ!泣いてはいけない、 ― 彼は英雄として死んだのだ…》、といった数々の詩は、プーシキンと政治的陰謀の参加者たちとの緊密なつながりを表していた。しかし、これについてより大規模に語られたのは、В.Л.ダヴィドフへの書簡(《その一方でオルロフ将官は…》)、あるいは将官プーシンへの書簡(《煙を、血の海を、矢の雨を通り抜けて》)であった。最初の方は、広く聴衆に向けられた扇動的政治的詩であり、もう一方は ― 陰謀参加者の一人からもう一人へ送られた非合法活動の書簡であった。それらはほのめかしの言葉、政治的暗号文で書かれていた(ある時は、政治的に同じ思想の友人仲間の約束的な言葉に基づかれ、またある時は ― フリーメーソンの非合法活動による言葉に基づかれていた、なぜなら詩は、デカブリストと緊密なつながりを持つキシニョフのフリーメーソン支部《オウィディウス》におけるプーシキンの《仲間》へ向けられていたから)。
 キシニョフ時代におけるプーシキンの風貌は、もし私たちが彼のもう一つの顔を見逃してしまうなら、不完全なものとなるだろう。プーシキンの日常生活の状態は複雑だった:追放中の風評、実にさまざまな社会的地位にある人々との交際の必要性と結びついた、常日頃の金銭的困難、取るに足らぬ官位、社会における詩人の地位そのものの不明確さ ― すべてが彼を、侮辱の可能性から守られないものにしていた。総じて、私たちにとってプーシキンのイメージから切り離せないものである、精神的に傷つけられること、落ち目の心理の完全なる欠如、生命と力に満ち溢れた状態は、彼がいかに困難で、攻撃を受けやすい立場にあったことを私たちに忘れさせる。著作家としての彼は、文学的生活の中心から遠隔地にいるために、またその当時の職業的文学者の法律上の地位のあいまいさのために、自らの権利を守ることはできなかった。政治的生活の参加者としての彼は、詩的な個性の原則的多面性に基づく彼の深い確信は、不充分な覚悟が自分を政治的闘争に、あるいは《退廃》や《軽薄》や《不安定》というようなものにすらゆだねているように理解している、ということを、やむなくつねに考慮に入れなければならなかった。人間としての彼は ― これはすでにキシニョフで明らかであったのだが ― つねに無作法な好奇心にさらされ、彼が自分を《詩的な個性》の紋切り型の行動と一致させるだろうという粘り強い期待に直面しながら、《詩人》という刻印を負うことを運命づけられていた。
 このような状況で、自分を社会の仮装舞踏会の低俗な仮面の一つで自分をたぶらかさないように、
 
     メルモス
   コスモポリタン、愛国者、
   ハロルドクエーカー、偽善者(VI,168)
 
のふりをしないように、また断固として自信をもって、独創的で完全な芸術作品として自分の個性を常に創造しながら、建設していくために、詩人としてのみならず、人間としても、真に天才的であらねばならなかった。
 《個性の建設》を無味乾燥な理知的なプロセスのように想像することは間違っている:芸術上と同様に、ここで思いついた計画は、解決を示唆する直感的な発見と瞬間的なひらめきと隣り合っている。同時にこれは、意識的なものと無意識的なものの結合を作りだし、その結合はそれぞれの創作物にとって特徴的なものである。

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