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プーシキン伝記第3章 南方 1820-1824㉜
回想録や学術文献において広く浸透しているのは、《悪魔》という主要な連作詩の、狭い伝記的な解釈である。そこには、ヴィゲリのことばによると、詩人が《悪魔》に描いたラエーフスキイの肖像が見られる。そのような解釈ははなはだ直線的であり、ときには伝記的な急展開に対し不随意的な反映が見られる、芸術作品の本質を考慮に入れていない。プーシキンの創作範囲の理解には疎い同時代の人々からすると、これは謝罪である。創作物に《知人にむけた》詩の作者を見ることは、彼らの特性である。キシニョフでは《黒いショール》からの一行:
不義の娘にアルメニア人は接吻した(II,1,151), ―
これは自分のことだと考えて詩人に腹を立てた読者がいた。同時代の人々が非常に何度も指摘しているように、プーシキンは自分の詩のなかで、概して同じような価値を持つ、ある有名な人物を描写した。《同時代人たちの合唱》の中で考慮されていないのはただ一人 ― プーシキン自身である、彼は、知り合いの著作者たちのうちの一人の文学上の描写として、彼にとって最も重要なこの詩の月並みな伝記的解釈には、断固として抗議した。出版物の中で《プーシキンの悪魔は想像上の存在ではない》¹とそれとなくにおわせていた批評に答えて、プーシキンは書いた:《[批評は誤りであると思う]。同じような多くの意見がある、ある人々は、プーシキンがあたかも自分の不可解な詩に描写したかったという人物まで指摘した。思うに、彼らは正しくない、少なくとも私は《悪魔》に別の、より道徳的な目的を見ているのだ》(XI,30)。概して、詩人の創作の直線的な伝記的解釈は、危険である:オデッサに滞在中、最もドラマティックな瞬間に、プーシキンは《エウゲーニイ・オネーギン》第2章の牧歌的な連を作った。
¹Б.В.トマシェフスキイの注釈参照:А.С.プーシキン全集10巻本‐レニングラード,ソ連邦科学アカデミー出版,1952,p.662
А.Н.ラエーフスキイとの友情は、プーシキンとオデッサ社会の広範な仲間との関係を定義し、プーシキンのオデッサでの生活に刻印を残した。アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ラエーフスキイは非常に不幸でひねくれた人間としてオデッサへやって来た。度の過ぎた名誉欲が彼に早すぎる昇進をもたらした:17歳足らずで英雄、また英雄の息子として誉れ高く、22歳で ― 陸軍大佐となった彼は、運命が自分に名誉ある活動領域を定めたと確信した。この確信が彼を取り巻く人々の間に分かち合われ、支持された。プーシキンは1820年に、А.Н.ラエーフスキイと知り合いになったときすでに、彼は《もっと有名になるだろう》と書いた。(XIII,19)。その後、苦々しい失望が訪れた:ありうべき非公式の道はどれも、選び取るには知性、意志の力、大胆さが足りなかったし、公的な人生の道を彼は軽蔑していた。凡庸な地位と分かると(とはいえ彼は賢明で凡庸ではなかった)、彼は意地が悪くなり、密かに父親をうらやみ、おそらく、プーシキンのまだ早い名声をねたみ、田舎のご婦人方に毒舌とメフィストフェレス的な非常識な行為で恐怖を吹き込もうとすることになぐさめを見出した。オデッサで彼は、あらゆる社会的しきたりを破壊する、自分の恥ずべき名声と、彼が《礼儀正しい》社会に吹き込んだ恐怖を楽しんでいだ。
プーシキンと彼との関係は、一風変わった《友達ごっこ》であり、プーシキンがキシニョフでなじんだ友好関係とは程遠かった。二人の間には同じくらい独特な、人生と日常生活に持ち込まれた《文学あそび》が確立していた。このグループの参加者たちはそれぞれ、その行為タイプを定義した文学的な名前を持っていた、また全員の人生が延々と続く即席の芝居になった。ラエーフスキイはメルモスと呼ばれた。マチューリンの小説の主人公のこの名前は ― 魂を悪魔に売った、きわめて魅力的な悪人、彼の魅力にあらがえない、けがれなき女性の魂を破滅させる者(小説は文学的に新しかった)、 ― ラエーフスキイに《悪魔的な》行為を強制した(ラエーフスキイはデーモンと名付けられたほどだった)。またこの人生ゲームの他の参加者は、ロマン主義的な仮面をつけていた。キエフの地主ヴァツラフ・ガンスキーはララ ― バイロンの悪魔的主人公、また彼の妻、エヴェリーナ・アダモヴナは、ロマン主義的な無教養な女、シャトーブリアンの同名小説に出てくる自然児、― アタラと名付けられた。プーシキンの小説の主人公たちの名前も振り分けられた:ゲームの参加者の一人はタチヤーナだった(誰か、我々は知り得ない)。おそらく、何らかのあだ名‐仮面をプーシキンも持っていただろう。それは我々には分からないままである。