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プーシキン伝記第3章 南方 1820-1824㉝

 この遊びの参加者たちは、人生においてロマン主義的な役を演じながら、礼儀作法というつまらぬ意識を蔑みつつ、社会において大胆不敵にふるまっていた。あらゆる概念が悪魔的に裏返しにされねばならなかった:愛は否定するべきものであったが、憎悪は抗しがたいものであり、友情は裏切り行為をほのめかすものだった。こういうわけで、プーシキンは自分の《狡猾な》プランについて、満足気にラエーフスキイへの手紙に書いた。そのプランに基づいて彼は彼ら二人共通の情熱の対象カロリーナ・ソバンスカヤの面前で、《恋敵》を《中傷》しようと決心した:《私はソバンスカヤ嬢にあなたの手紙を見せるつもりはありません、最初はそうするつもりでした、彼女にはメルモス的主人公への興味があなたにもたらされていたことだけを隠して、― そして私はそのように行動するつもりです。あなたの手紙から私はただ、しかるべく削除された抜粋を読んでいます;私の方では、手紙への詳細な見事な返事を用意していました、その手紙で、あなたがご自身の手紙で私を打ち負かしたのと同じくらいあなたを打ち負かすでしょう;私はその手紙をこのように始めます:《あなたは私をだませないでしょう、愛しいヨブ・ラヴレース¹;私はあなたの虚栄心と偽りのシニシズムに基づくあなたの弱点に気づいています〈友人に対する態度の《裏切り行為》は、彼のシニシズムが見せかけとして暴露されていることに込められている!―ロトマン註〉というように。;残りの部分は ― 同じような感じです。これが印象を与えているとあなたには思えませんか?》(XIII,70 и526)。
¹ヨブ ― 神の無慈悲を暴露した聖書における登場人物;ラヴレース ― リチャードソンのセンチメンタリズム小説の誘惑者。文学的な仮面による典型的な遊び。
 この遊びは様々な参加者に対して、それぞれ別の意味を持っていた。ラエーフスキイは遊びの助けを借りて、社会上、彼のゆがめられた自尊心を苦々しく慰める風変わりな地位を占める可能性を見出した。プーシキンにとってこの文学的情熱と裏切りの遊びは、彼がキシニョフで過ごした最後の数ヶ月間にのぞき見た、そしてオデッサでも彼を放っておかなかった世間の現実的な裏切りから身をかばうことに役立っていた。また、この世間はプーシキンのすぐ後に続いていた:手の込んだ外殻で覆われた《メルモス主義》と《バイロン主義》の先に現れたのは、現実のお役所的警察的な悪魔主義による本物の深淵だった。例を一つ挙げよう。引用されているラエーフスキイへの手紙でプーシキンはК.ソバンスカヤについて触れて、投げやりにこう認めた:《私の熱情はいちじるしく弱まった》。おそらくこれはそうではないだろう。幾年月を経た1830年になって、自らの結婚のほぼ前日に、彼は彼女に書いた:《今日は私があなたに初めてお目にかかったときから9年目の記念日です。この日は私の人生において決定的な日でした。
 これについて考えれば考えるほど、私の存在はあなたと切っても切れないものであると確信しています;私はあなたを愛し、あなたの後を追うために生まれました ― 私の方からのあらゆる他の心配事は ― 思い違いか無分別です》(XIV,62-63 и 399)。これは偽りない情熱的な感情であった。カロリーナ‐ロザリヤ‐テクラ・アダモヴナ・ソバンスカヤ、旧姓ルジェフスカヤ、二人目の夫はチルコヴィッチ、三人目の夫はラクルア、この女性はいったいどんな人物だったのか?教養ある名門出身の美しいポーランド人で、優れた教育を受け、彼女にひどく惚れ込んだミツケーヴィチに詩歌でうたわれ、《もっとも痙攣的でもっとも苦しい恋の陶酔》によって彼女の恩恵を受けたプーシキンにもうたわれ、また彼女は、南部屯田兵長官И.О.ヴィット将軍の情婦でもあり国家秘密諜報員でもあった。

 

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