キャベツの芯と父の愛
僕の父は、いわゆる肥後もっこす。
短気で怒りっぽく、幼い僕はよく怒られていた。
「僕は父に愛されているのか?」と考えることこそなかったが、「僕は父に愛されている」と感じることは少なかったように思う。
僕が10歳くらいの頃の、ある日の夕食のお話。
その日はお鍋だった。
僕は肉が好きだったので、肉ばかり食べすぎて怒られないようにペース配分をしながら肉を狙っていた。
そこを見抜いた父が、ドスの効いた声で言う。
「野菜も食べんか。」
うげーっと思いながら、キャベツの柔らかそうな部分や、小さめの椎茸なんかを食べる。
そこで僕は考える。
(そういう親父は野菜を食べているのか?)
(自分は肉ばっか食べてるんじゃないか?)
しばらく父の箸を目で追う。
もちろん父は、肉も野菜も食べていた。
しかも、キャベツの芯ばかり食べている。
(キャベツの芯食べられるのカッケー。)
そのときは、白くて硬そうなキャベツの芯をボリボリと食べる姿が、いかにも父親という感じでカッコイイと感じた。
それから時が経ち、僕も父親になった。
あの日の父の気持ちが、今なら分かる。
子どもに野菜を食べてほしい気持ち。
食べやすいところを残してあげたい気持ち。
もちろん、キャベツの芯が美味しいことも。
僕もまた、父に愛されていた。
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Drawn by tocotori
トップ画像のキャベツはトコトリさんにリクエストして描いて頂きました。
優しさが伝わってくる、素敵な水彩です。
トコトリさん、ありがとうございました!
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