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瞑想ダンスで救われた命
鬱?
あのとき私は鬱にだったんだと想う
生まれて初めて一人になった
離婚して自由と希望に充ちていたけれど
コロナ禍で余計に人と会えないのが後押ししていた
言いしれぬ不安感だった
女性性と男性性が統合して(だからこそのプロセスなんだけど)これからだーって喜んでいたすぐ後だから全くの想定外だった
一人悶々と部屋でがんばろうって必死になってたのがいけなかった
一人でこれから生きていけるのだろうか?
アラフィフの女が一人でお金を稼いで一人暮らししていけるのだろうか?
そんな不安が募り、私は明け方あまりの恐怖に叫びながら泣いていた
もうダメだ、、、
そんなときに出逢ったのがタントラ瞑想だった
踊る瞑想
初めて行った日、コンシャスダンスを知り踊りまくった!!!
すっごい氣もちいい!これだ!私はダンスが好きだった〜♫
ただ踊っているだけで涙が溢れた
身体の内側から自分のパワーみたいな熱いエネルギーが上がってくる
叫び、泣き、笑った!
呼吸ができることに感謝が溢れて生きていることに感動した
人とハグ、触れ合える悦びに震えた
そしてワークをするとそこには絶対に触れたくないもの、今まで一生懸命に隠し、”どうにかしてきた”ものに向かい合いざるをない、、、
ソーシャル瞑想はガチの向き合いになる
親子の関係、パートナーシップ、人間関係、、、
避けてきたものに真っ向から体当たりで向き合う機会
こんな怖いのイヤだ!と想いながらも勇氣を出した
不思議なことにそれはすべて自分のエゴだった、と氣づき
消滅し、世界がまるで変わった
体験で氣づかせてくれる
体験で深い魂につながる
それがアクティブ瞑想、タントラだった、コンシャスダンスやOsho瞑想だった
死にそうだった途方に暮れていた私はアクティブ(動く)瞑想に救われた
セラピーなんて要らないよなぁ、って本氣で想ってしまって自分のセラピーをしなくなった(笑)
しかし、、、
同じOsho瞑想でもやっぱり合う合わないがある
他のグループはあまり合わなかった
オーガナイザーが違うと集まっている人も違う
私はタントラライフジャパンのKabirのガイドが私にピッタリとはまり、彼のワールドが大好きで未だにお世話になっている(たぶん死ぬまで)
2年間ほど彼の主催する会は東京全制覇でコンプリート!
お金がなかったのに不思議とあの初めてのイントロダクションは行こうってなって、しかも、そのままコンプリートするなんて想ってもなかったなぁ
彼と同じようなものは提供できないので私は瞑想会はしない
その代わり、セラピーではないものを今後やっていく決意ができた!
それが「感じるセッション」だ
「感じる」こと
心理療法のメソッドではなく、内側を感じていく個人セッション
ダンスもあるかもしれない、何が起こるかわからないオリジナル
もう従来の心理療法やカウンセリング、過去を癒やすとか潜在意識を変えるとかいったメソッドではなく、単に「ここ」を感じることで人は勝手に癒やされる
治癒力、回復力であるレジリエンスがご自身の中にある、ということに氣づけば共依存や服従関係ではなく、健全な依存と循環が起きる
今までの世界はこっちはダメだからそれをやめてこっちへ、ってやつだった
それは今の自分を否定していることになるからもう必要ない
今のあなたでいいんだよ、ってことに氣づけば本当の真実の道へ進むから
コントロールされた恐怖心や罪悪感を使った手法、高揚感を促して一時的によくなる手法は本当の癒やしにはならない
本当の癒やしとはその人が自分に「氣づく」ことにほかならない
それは一回じゃないし、生きているからこそ随時行う必要がありそれが自然の摂理なのだ
瞑想と同じですね
無くそうとするから無くならない
古代からシャーマンやドルイドが癒やしてきたのは必要な領域
やりすぎてない踏み込みすぎてない本当に必要な範囲の癒やし
すごくいいものがあるからといってそこだけを単にかいつまんで癒やすことはできない
安易に自然から離れたやり方をすることは逆に自然からの報復があるということを知っておかねばならない
わたしたちも自然の一部だから
病氣もそうだけどそれが悪いことのようにいいことにしようとしないこと
起きていることをあるがまま受け取ること
本当に必要なのは人を変えることではなく人を愛すること
ということは自分を愛すること
うまくいくことが幸せなんじゃない
うまくいっても行ってなくてもそこに感情や現実があるなら
ただそれを一緒に感じること
ただ「在る」と認めること
◯◯な自分になろうとしてたことが間違いだった
と後からは想うものですが
じつはすべて間違ってないんです
わたしたちは何か不足してたり、間違っているから正しいほうへ行かねば!とどうしても思わされてしまうのですがそれこそが要らないんです
無条件の愛をどうかご自身へ向けてあげてください
というか、それが一番だってことが私はわかってしまいました…
ずっと今よりましな自分に
なろうとしていたってことに氣づいてすごく楽になりました
それがあるとずっと今の自分がダメ、と評価しているから充たされないんです
で、成長した、克服した、って自分がいかにも善いことだと勘違いしています
でも誰も欠けてはいないんです
欠けていると思わされてずっと走り続けているからそこへ労力を使ってしまい本来の自分で生きることができずに疲弊してしまいます
そこに氣づいたときに本当に愕然としました
でも氣づいたからってすぐには変わりません(笑)
そう、変わろうとしない、どうにかしようとしない
もういまあるものをあるがまま受け入れていくことが生きることで
じつはそこを感じていくと奇跡が起きるんです!
想定外のことが!!!
私は何度もこれを体験しました
徹底的に自分を愛することをやって、嫌な感情も静かに感じてそこに一緒にいるんです
どうにかしようとする焦りやすぐに何かをしてそれを払拭させるクセをやめ、降伏、降参してその嫌な痛みを感じるんです!
すると本当にすごいことが起こる^^
本当に起きるべくことが起きるのでぜひやってみて!!!
セラピーとかコーチングとかセッションとか本当に要らないよ(笑)
あるがままの自分になりたいからって、変わりたいからって何かメソッド的なものをやってもなれませんよ
お金と時間の無駄
だったら、踊って、愉しんで、感じてればいいのさ〜〜〜〜〜〜
ってことに氣づいたのです
ってことは日々本当に嫌なこともなくなりません(笑)
それでいいんです
こんなこと言ってるから本業で食べていけてないんですけど
しょうがないよね、だって本当に人間に必要なもの、人間を助けるものは
「理想のあなた」ではなくてこの現実をただ受け入れることなんだもん
でもそれをやった人だけが本当の悦びとくつろぎを深い源で感じるんだよ