もう一度生まれてみる。

※本稿は自殺を美化、推奨するものでは決してなく、むしろ同じ苦しみを抱える人にひとりでも多く届き、少しでも長く生きてほしいという思いを込めています。

僕は一昨日、一度死んだ。

そう、たまにある比喩の通り、自分で命を断とうとしたんだ。
ただ、言葉からそのまま連想されるような大した失敗じゃない。
柱に結んだネクタイに首をかけ体重を乗せては苦しくなり、高い場所から飛び降りようと車を借りて有名な橋までは出向いたが、辺りが暗過ぎてすぐに車に戻ってしまった。
そのあとも電車への飛び込みの計画だけ一丁前に立ててみたり、自殺相談ダイヤルに電話して少し落ち着きつつも、またどうせ出来ない首吊りに何度も挑んだり…
そうしているうちに、死にもできないことに絶望して半分パニックになりながら、結局良い歳した男が母親に「もう無理かも…」とLINEで助けを求めてしまった。一度そうして泣きついてしまえば、もうあとは母親の到着まで時間をやり過ごすだけだった。
そんなだから当然、自殺未遂の後遺症もない。昨日も今日も、皮肉な程に身体は元気だ。

死のうと必死なときに色々と調べていると、日本では年間で2万人以上、一日に平均すると50人以上が自殺しているらしい。
それだけの人数が実行できるんだ、そんなに難しくないに違いないと思っていたのだが…
実際に完遂してしまう人はある種本当に強い精神力を持っているんだと思い知らされた。

(生き延びたあとさらに調べてみると、ある年に全国の高三生と浪人生が東大に入ってしまう確率(志願しているかどうかでなく、毎年の入学者数を全大学受験世代人口で割ったもの)は0.25%。全人口のうちある年に自殺してしまう確率は0.016%。
およそ乱暴な算出、比較だが、自殺を完遂するよりも東大に入るほうが簡単だという可能性は高そうである…
現役時代、見事に東大2次試験で滑り散らかした自分だ。なかなか選ばれし人にはなれないのかもしれない。)

とは言え、だ。
これほどまで死に近づいた経験はなかったし、どこかで手や足を滑らせていたら、あと少し薬やお酒の量が多くてもっと朦朧としていたら、こんな風に何かを書くことはできていなかったかもしれない。
それに自分にできるできないは別にして、1日に50人以上が自ら命を絶っているのは事実である。自分にとって、もはやそんなに非現実的な話題ではない。

だからこそ、一度死んだという書き出しで、何でもいいから表現してみようと思い立った。
幸いにもネタは無限にある。そもそもなぜ死のうと思ったのか?その状況を生んだ背景は?これまでどんな人生だったのか?医者にかかったり薬は飲んでいたのか?などなど。
せっかくなので、死に損ないの戯言を大いにぶちまけていきたい。

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