成り行き任せに逃げ過ぎて、元に戻れなくなってしまったはなし。
さてさて、今日も辛いことには変わりない。
ただまぁ、何か書くほうが気は紛れるので…
なぜこのところ死にたくなってしまったのか、経緯についてまとめてみようと思う。
話は少し遡り、去年の冬のこと。
僕は大手外資の物流企業からとある日系の中古車販売会社に転職した。
外資とはいえ職位は正社員の中で1番低く、給与も大した額ではない。好きな分野でもなく、やり甲斐を感じる場面も少なかった。それでいながら会社全体としてはとても「意識が高い」ので、常に進歩や成果が求められる。
そんな環境から逃げ出したくて、何となく求人を探していたときに見つけたのが、その中古車販売会社の営業の仕事だった。車は昔から大好きだったし、全国を飛び回りながら車を買い取ってくるという仕事内容も魅力的に映った。すぐに応募してトントン拍子に面接が進み、すぐにオファーをもらった。
ただ本当はこの時、新しい会社に対して違和感も持っていた。最終面接で社長からは「うちはかなり宗教じみている」という脅しがあったし、面接の内容もどこか前時代的で堅苦しかった。
しかし、とにかく今いる会社から逃げ出したい一心で目を逸らし、入ってみれば何とかなると自分に言い聞かせた。
さて、いざ入社してみれば悪い予感が的中しないはずがない。毎日の朝礼では全員が社訓を空で読み上げ、新卒人事の勘違い女に酷く偉そうにされる。社長や役員はやはり高圧的で、歓迎会の飲み会には強制参加。逃げ出してきたはずなのにむしろ息苦しい。
入社時期についてもすれ違いがあり、前職から少し間が空いてしまって焦りもあった。入社直前には付き合っていた彼女にも振られ、既に精神的に崖っぷち。唯一の拠り所だったネットで知り合った女の子にも入社直後に嫌われてしまい、ついにノックダウン。全てが嫌になり、自暴自棄になって無断で会社を休み始めた。
何事も転げ落ちてからは早い。すぐに退職の運びとなり、一人暮らしの家も引き払って失意のままに実家に戻ることになった。
そしてここからがもっとまずかった。
自分の適性やスキルをしっかり棚卸しして、方向性を修正できればよかったのだが、さらに逃げ続けた。
大学を卒業してからしばらくはフリーターや正社員でバリスタとして働いてたのだが、当時から父親に空いている祖父母の家と土地を使ってお店をやれば良いのにと言われていた。
「31歳、これといった経験無し、このままサラリーマンを続けても老後苦労するだけだ。いつまでも働けるように、いまこそ自分でコーヒー屋を始めたらどうか?お金なら出せる」と言う父親に対して、NOと返せる気力も余裕もなかった。
そのあとはもう、少しずつ自分を追い詰めるだけだった。
お店を始めるだけなら大した決意やモチベーションは必要ない。少しの経験とある程度の資金源さえあれば、開けるだけは何とかなってしまう。いやむしろ、中途半端にそれらがあったからこそ進んでしまえたと言ったほうがいいかもしれない。
「早く辞めてダメージをなるべく小さくしておくべきだ。」どこかで聞こえるそんな心の声を無視し続け、身の入らない準備をダラダラと進めていた。周囲の知人や現地の親戚、近所の人などにも話をしてますます引けなくなり、その都度いざ始めてしまえば何とかなるだろうと言い聞かせた。どこかで聞いたことのある台詞である…
(ちなみにお店とは言いながら、さすがに家をリフォームしたり新たに建物を立てたりはリスクが高過ぎると思っていたので、キッチンカーをリースして始める形だった。いまにしてみれば、比較的傷を浅くする唯一の良い選択だったかもしれない。)
そうして開店直前まで進めたプレオープン最終日、その日はとにかくお客さんが来なかった。その代わり、以前から知っている近所のひとがふたり立て続けに来て、お店や僕のやり方に注文をつけていった。
もちろん親切心からだとは思うのだが、追い込まれた僕の心を折ってしまうには十分な出来事だった。開店準備、最後の仕上げでやることがたくさん残っていたが取り組む気力がなくなってしまい、ひとまずオープンを後ろに倒した。このときから具体的な自殺へのアクションは起こし始めていた。
一瞬だけ元気になって再度オープン日を定めたのも束の間、根源から湧き上がるようなモチベーションはもうとっくにない。ついに力尽きて、文字通り身動きがとれなくなった。
そして、1番最初の投稿に繋がるというわけだ。
こうして改めて書き出して客観的に見ると、我ながら上手くいく要素がひとつもないからなんだか呆れてしまう。
起こってしまったことなので仕方ないが、しっかり顧みてこれからの人生にいかさないといけないだろう。
もっと前の出来事も振り返って、こんな自分がどうして出来上がったのかも考えたいが、それはまた次回以降。