最後に救われると思っていませんか。

※本稿は自殺を美化、推奨するものでは決してなく、むしろ同じ苦しみを抱える人にひとりでも多く届き、少しでも長く生きてほしいという思いを込めています。
また、かなりセンシティブな内容です。特にいわれのない暴力やいじめに苦しんでおられる方にとっては気分を害されるものとなるかもしれません。ブラウザバックもご検討ください。

昨日の予言が当たった。
今日はすっかり落ち込んでしまった。
タイミーで久しぶりに働いてみたら、何を言われたわけでも何か問題があったわけでもないのに、とにかくしんどい。
自分は何をやってるんだ、何でこんなに気分が晴れないんだ。
そして、こんな簡単な仕事すら投げ出したくなる自分は何なんだ、とさらに惨めになる。
何とか最後まで勤務したし、それなりに役には立ったはずだが…
こんなことで復活できる日は来るんだろうか…
まぁ、生まれ変わりの人生だ。
やるしかないし、今日も寝落ちることなくしっかり投稿できている。
とりあえずはこんなもんだろう。


今日書くのは、死にかけた自分がその経験の中で得た大切な教訓。
出来ることなら自殺を考えるようになった少し前の自分に伝えたいはなし。
それはタイトルにもある通り、「最後の最後で救いがあると思っていないか?」ということ。

どうせ楽な自殺方法などは調べても出てこないから、そんなことなら代わりに自分に読んで欲しかった内容を書いてみる。

僕が初めて自殺を考えたのは、もう10年以上前になる。
当時から何かにつけて人生が上手くいかず、逃げてばかりいた。そんな中で究極の逃げの一手、苦しい毎日からの解放を願ったとき、自殺という考えに至るのはそれほど不思議なことではない。
それ以来、小さい波大きい波はあるものの、この死にたい気持ちと一緒に生きてきた。

批判を恐れずに言えば、自殺という概念は意外と役に立ってしまう。
「いざとなれば死んでしまえばいいんだ」とか、「死にたいくらい苦しんでいるんだから」と考えることは、目の前にある辛い現実から目を逸らすのを大いに手助けしてくれる。
そしてそんな時の精神状態は麻薬的で、次はもう少し自殺について考える時間が長くなってしまう。
希死念慮への依存が生じる。

この依存が怖いのは、とにかく逃げ癖がついてしまうことだろうと思う。
死ぬくらいなら、これ以上苦しむなら、という言い訳をして、その段階でなら本来頑張れたはずのこともできなくなってしまう。
そして、もっと状況が悪くなる。
この負の連鎖から抜け出すことは難しい…

この希死念慮への依存が、ただの破綻でしかないことを実感したのは、初めて首を吊るという行動を起こしたときだ。
何年もずっと憧れていた自殺なのに、いざ本気でとりかかってみると、信じられないほど苦しくて怖くて、とても完遂できたものではなかった。
苦しくて辛くてどうしようもない現実を誤魔化すための最後の救いだったはずのものが、これ以上なく苦しくて辛いなんて…
自殺によって救われるという考えは幻想でしかなかった。
それなりの数の人が僕と同じ自殺への幻想を抱いている気はしてしまうが、実際のところどうだろう…

また別の「救いへの期待」として、自殺防止の相談ダイヤルの話もしておきたい。
何度か自殺を試みたあと、絶望の中で少しでも何か見出そうと、人生で初めて自殺の電話相談ダイヤルにかけてみた。

ところが…
かけてみたことがある人は同じ経験があるかもしれないが、
何度かけても繋がらない。
SNSやweb上でのチャット相談もほとんど返信がない。
自殺についてインターネットやYouTube、SNSで調べると必ずこの手の相談窓口が表示されるし、自殺の名所と言われるところにも看板などで案内があると聞いていた。
それもあって、自分の中では「効果抜群とはいかなくとも、話を聞いてもらって楽になることもあるのかもしれない」くらいの期待はしていた。
いや、実際後から繋がったときには優しく話を聞いてもらえたし、日にちや時間帯によっては繋がりやすいのかもしれない。
ただ、最後の砦というイメージを勝手に抱いていて、もう限界がきている自分にはかなり堪えた。

また、繋がって相談できたあとも、時間は限られていて、起死回生の解決策も出てこなかった。
かなりの勇気を振り絞って「死にたい」と本気で打ち明けたのだから、何かきっかけだけでも…と思ってしまったのが正直なところ。
ただ、冷静になって考えてみれば当たり前の話。事情も知らない人の死にたさを30分やそこらで解決できるわけがない。

前回転職に失敗した直後、今ほどではないが死にたくなって心療内科にかかった時も、「とりあえず休みなさい。薬も効くやつを出す、必ず良くなるから。いまは生きるのが仕事です。」と言われた。
絶望感の種類は似ているかもしれない。

相談ダイヤルや心療内科の批判をするつもりは微塵もない。
むしろ、どちらにも命を救われてきた。感謝こそすれど、批判などしようはずがない。

そうではなくて、
自殺やその周りにあるものに対して、幻想を抱いてはいけない
ということを言いたいだけだ。
自殺はとにかく苦しくて辛いもの、簡単に死ねると思ったら大間違いだし、自分を救おうとしてくれる他人と出会う機会は多くない。
出会えたとしても解決に導いてくれるかもわからない。
これが現実だ。死ぬことは決して甘くない。

生きることが辛いからといって、死はそれを救ってくれるものじゃない。
最後の救いなんて、存在しない。

いまいる環境で生きることに挑むしかない。
親しい友人や家族に助けを求めてもいい。

そうだ、もちろん非常に辛くて苦しい。
いまの自分がそうだからよく知っている。
だが、そういうものなのだ。
救いすらない辛い人生。それが現実。


自分も含めて、苦しむ人が少しでも早く小さな希望を見つけて、前向きに生きられますように…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?