キャリコンとして映画評論家に学ぶ
うちら世代の映画好きだと若い頃に蓮實重彦大先生の著作を読んでた人も多いでしょう。町山智浩さんも自分(秘宝系)はアンチ蓮實みたいに言われるが、全然そんなことはなく大きな影響を受けているとラジオで言っていました。私も蓮實先生の本でジョン・フォード、トリュフォー、小津安二郎、溝口健二など巨匠の映画の見方を知り、当時新しい才能だった黒沢清、北野武の映画などを貪るように見ていました。
蓮實先生の映画の見方は途方もなく深く、広いのでこんな記事一つで語り尽くすことはできませんが、キャリコン的視点から勉強になる見方を一つご紹介します。
キャリコンのカウンセリング理論では、相談者の”認知”に着目することがあります。相談者がある事象をどのように見て、どのように認識しているかです。歪んだ認知や、自己の都合のいい内面の投影のような認知もある、、、そんな認知のあり方の中に問題点が隠されていることもあると思います
蓮實先生はある映画のゼミで、スピルバーグの『未知との遭遇』を題材に観客の認知を問うような授業をしたことがあります。そのゼミにはあの黒沢清も参加していました。
すごい認知力ですね、普通の人=生徒は特撮だろうという常識的な回答をするのですが、蓮實先生は本物の円盤である可能性についてなぜ考えないのか?と問うのです、もちろん本物である可能性は限りなくゼロ、というかあり得ないのですが確かに言われてみると我々は常識を疑うことを忘れることがあります。そんな飼い慣らされた認知を一度疑ってみると世界は新たな風景として見えるかもしれません。
そのゼミで黒沢清の答えは、「ドアが十五回見えました」
さすが黒沢さん、『未知との遭遇』における観客の認知に密かに入り込むが意識には上らないような領域について鋭く言及しています。確かにあの映画ではドアから差し込む光などが脅威や恐怖の象徴として何度も描かれていました。
このように優れた映画評論を読むことは、人々の認知について改めて考えるきっかけにもなります。
またどっかでキャリコン視点で蓮實先生の本についてお話ししたいと思います
ではでは
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