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『羅生門』黒澤明全作レビュー&イラスト

第12回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、第24回アカデミー賞名誉賞を受賞し、日本映画が海外に知られる起爆剤になった大傑作です。
↑多襄丸を演じた三船敏郎さんを描きました
↓京マチ子さんも描きました



ストーリーはこんな感じ(ネタバレあり)

■土砂降りの雨、半壊した羅生門で雨宿りする二人の男。
坊主(千秋実)とボロを着た杣(そま)売り(志村喬)、杣売り曰く「こんな不思議な話聞いたことがない、盗賊、飢饉、いくさよりも恐ろしい、、3日前、わしは山へ薪を切りに行った、、木々の間から太陽の光が差し込む。足早に山を歩く男は死体を見つけた」
■検非違使庁での証言(1)。発見者の杣売りは、死体発見状況を説明、短刀などは見当たらなかったと証言。坊主は旅をする侍と妻を見たと証言する。
■検非違使庁での証言(2)。捕まった盗賊の多襄丸(三船敏郎)の回想、あの男を殺したのは俺だ、侍(森雅之)と妻(京マチコ)は旅をしている。
市女笠の隙間から妻の美貌が見え欲情した。夫を騙して山奥へ連れて行き縄で縛る。女を手籠にするがあまり抵抗せず腕を多襄丸の背中に回す。女は夫が死ぬかあなたが死ぬかどちらかにして、生き残った男に連れ添いたい。多襄丸は侍と正々堂々と戦い侍を殺す。
■検非違使庁での証言(3)。女が検非違使に現れた。
証言内容は多襄丸の話とは違うものであった。多襄丸の話も女の話も嘘だ!と発見者の男はいう。女は、夫が私を蔑んだ目でみた。いっそ私を殺してくださいといい気を失った。気がついたら夫の胸に短刀が刺さっていた。身を投げたが死にきれなかったと泣き崩れる女。
■検非違使庁での証言(4)。巫女が死んだ侍を降霊し、巫女を通して証言する。妻はその時うっとりした表情だった、そして多襄丸に対しどこへでも
連れて行ってください、あの人を殺してくださいと自分を殺すように指示した。妻は逃げた、自分は山の中をさまよい自害した。
■羅生門での証言。発見者の男は一部始終を見ていた。泣いている女、縛られている男、多襄丸がいた。多襄丸は女に謝っていた、、妻になってくれ、しかし無理ですと女。夫はこんな女のために命をかけるのはごめんだ
何故自害しないのか!と女に詰め寄る。女は狂ったように笑い出し、男に向かい何故多襄丸を殺さないのだと非難する、また多襄丸に対してもお前も大したことないなという。女の言いなりに多襄丸と侍は殺し合い最終的に多襄丸が侍を殺す。
■羅生門にて発見者の男は証言の食い違いから混乱している。その時捨て子の赤ん坊の泣き声がする、下人は捨て子の着物を持ち帰ろうとすると杣売りはお前は鬼かと詰め寄るが、下人はそういえば立派な短刀はないそうだがお前が持って帰ったんだろうと杣売りに言う。
あっしには子供が6人いる7人育てるのも同じだ、その男は赤ん坊を引き取って育てる決心をする。

では映画の感想です
この「羅生門」、同じ場面を微妙にずらしながらの繰り返しなのに飽きるどころかメチャメチャ面白い。多襄丸、女、侍の霊、杣(そま)売り、、誰が真実を述べていて誰が嘘をついているのか?
最後までそれは明らかにされることは無いのですが、この映画ではなにがいいたかったのでしょうか?

自分なりの解釈ですが、キーとなるセリフを志村喬が最初にいいます。
「こんな不思議な話聞いたことがない、盗賊、飢饉、戦よりも恐ろしい、、」
これは真実がわからないという事ではなくて、どれも真実だという事なのではないかと思っています。真実不足ではなく真実過多といいましょうか、、、

侍と妻の関係も仲睦まじいのも真実ではあるものの、別な男を頼もしく思う気持ちも真実、男が腕力では女性より強いのも真実だけども、実は女性の方が操っているのも真実のような具合に状況と人間関係によってどの真実も立ちあらわれてくるということではないかと。

また、反復がこの映画の主題でもあります。いろんな真実がある世界の反復サイクルからはぬけでることができないかもしれないという恐怖。なんども反復されるうちに何か明確になるといよりは余計にわけわかんなくなるという恐怖。

黒澤さんは音楽もラヴェルのボレロをイメージして作ってくれと注文を出したそうです。確かに劇中曲はかなりボレロっぽい。ボレロと言えば反復による徐々に高まるグルーヴ感ですよね。
この映画では高揚感とともにじんわりとした恐怖も感じられる音楽の使い方だと思います。

フランスの作家/映画監督のアラン・ロブ=グリエが『羅生門』に影響を受けて『去年マリエンバートで』をつくったのは良く知られています。ちょうど今回のレビューを書くのにあたって20年以上ぶりに見直しました。
当時は難解だなあと思いましたが今見ると意外にシンプルな話でした。あくまでも私の解釈ですが、主人公のXはすでに死んでおり以前関係した女Aとその夫Mだけが彼とコミュニケーションできる。XはAとの思い出を忘れられず成仏できず魂が漂っている。最後は女も死に二人で冥界を歩く、、という解釈。

『羅生門』の影響ですが男Xと女Aの証言が食い違っているところや、同じような会話が繰り返されるところ、亡霊エピソードに見ることができると思います。
ただ『マリエンバート』の方がややロマンチックかな。女Aが記憶と異なる証言をするのは本当はXを愛しておりそれを振り切ろうとするあまりのこと。いってみれば二人の愛自体は真実なわけです。それを振り切ろうとして自分で自分にうそをつく。
一方で『羅生門』の方は、女と多襄丸、侍の関係は不安定でありどれも真実といえば真実、ウソと言えばウソ。最後に一致してチャンチャンとはならないのです。

でもそれでは映画的に落ち着かないと考えたのか黒澤監督、ラストに赤ちゃんを大切に育てる決意をもってくる。
この場面個人的には正直なくてもいいかなと思うけど、あのまま投げ出されて終わったら見てるこっちもしんどかったかもしれないのでまあ有りかなと思います。

以上国内外に多くの影響を与えたこの『羅生門』もし未見の方がいらっしゃったら是非おすすめしたいです

ではでは


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