「Rebirth(仮)」(14)
一時はどうなることかと思いましたが、兄の退院を家族でお祝いすることができてとても嬉しかったです。
2014年4月、私が大学4年生になり就活で慌ただしくしている頃、兄も治療を続けながら大学に復学しました。
調子が良い時はよく遊びに出かけていたようで、「そんなに出かけて体大丈夫なのかな?」とよく家族で話していました。ただ、兄は家でじっとしていることが嫌いな人だったので、「友達と遊んで楽しくしてる方が体に良いんだろうな」と納得していました。
無事に内定をもらい就活を終えた私は、春からの新社会人生活を目前に控え、思い切り遊ぶことに没頭していました。社会へ出る不安はありつつも、兄も順調に治療が進んでいる様子だったので、晴れやかな気分で卒業旅行などを楽しみました。
ただ、白血病は寛解から5年経たないと完全に治ったとは言えない、再発すると非常にやっかいな病気だと聞いていたので、「再発」という言葉を頭の片隅でどこか意識している状態でした。
そして2015年4月、新社会人となって、慣れない環境や覚えなければいけない業務に毎日クタクタになって帰宅していた私を、兄はよく気遣ってくれました。「仕事どう?」「最近どんな感じ?」とよく話しかけてくれ、私が仕事の悩みを自室で友達に電話していると、隣の兄の部屋までうっすら声が聞こえていたらしく、電話終わりに私の部屋まで来て「何かあった?」と相談に乗ってくれたことがありました。
「仕事大変だなぁ」「色々あるよね」と相槌を打ちながらずっと話を聞いてくれました。
兄の回顧ブログの続き
2014年4月 復学
抗がん剤治療は2014年に入ってからも続いていたが、なんとか大学に行って卒業したかったので、4月から復学してみることになった。
半年も病院という暗い世界にいたので、久しぶりの大学の全体的なテンションの高さにビビったが、健康な状態で授業に出れるのはすごく幸せだった。
国際教養学部は留学やらで留年している人がたくさんいたので(ガチ留年してるやつもいたけどw)、友達はたくさんいて毎日楽しかった。
2014年4月 再会
ある外来の日、目の前を目がうつろでガリガリに痩せたおじいさんが、車椅子を押されて通っていった。
ドキッとした。
僕が敗血症ショックになった時、同じ病室にクマモンのパジャマを着た60くらいのおじさんがいた。僕は病院で他の患者さんと全然交流してなかったが(同世代いないし)そのおじさんは明るくて、よく挨拶してくれた。僕がICUから出た時も、「もう無理しちゃダメだぞー!」と声をかけてくれた。
あまりに痩せていて、一瞬誰だかわからなかったが、そのおじさんだった。僕に気づいたか、気づいていないかわからないが、下の方を一点に見つめ、生気は全くなかった。
すごくショックだった。と同時に怖かった。自分もあぁなってしまう可能性があると思うと。
僕たち患者は白血病という生存率50%の戦場で戦う兵士みたいなもんだ。誰が生きて帰れるかわからない。一旦帰ってきても、僕みたいに何度もまた連れて行かれたりもする。
本当に残酷な戦いだ。。
※もちろんその後、そのおじいさんがどうなったのかはわかりません。俺が見たときたまたま悪い状態だったのかもしれないし。
いずれにしても快方に向かい、元気に日常復帰されてることを願います。
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