「Rebirth(仮)」(18)
兄の回顧ブログの続き
2015年10月 再発確定 再び病院の世界へ
生きた心地のしないなか、最終クールの抗がん剤の期間一カ月が終わった。
予定通りマルクをして、検査結果を待った。
その時は地元の友達と公民館の体育館を借りてバスケをしていた。休憩していると、病院から電話がかかってきた。
先生だった。
「マルクの結果なんですが、悪性細胞が7%に増えていました。やはり再発しています。」
その時はそとで友達もいたので、淡々と内容を聞いた。
その後はよくは覚えていないが、すぐに入院した。
先生からの説明によると
当面の予定として、まず抗がん剤で第2寛解を目指す、最大で2クール抗がん剤治療を行い、それが上手くいくかに関わらず、その後は移植。という事になった。
ALLの非寛解移植の5年生存の成績は2割程度ですが、第2寛解(もう一度悪性細胞が消えた状態)だと、4割くらいあります。ですが、再発した悪性細胞は様々な抗ガン剤から生き残った細胞なので寛解に入るのはかなり難しい。言わば、ラスボス状態になってしまいます。
こうして僕が掴みかけていた普通の生活はいとも簡単に何処か遠くへ行ってしまったのでした。そして、ふたたび戦場へ。
以前より、より厳しい戦場へ。
2015年10月 担当医との別れ
再発がわかってから、着々と入院、治療の準備が行われた。
ただ、1つ問題があった。
初発時から担当医だったk先生は少し離れた分院のほうに当時勤務していた。k先生は週に一度、外来のために本院に戻り、そのタイミングで治療を受けていたが、入院治療を週一で診てもらうわけにはいかない。
与えられた選択肢は2つ、
①慣れたk先生に引き続き診てもらうため、分院で治療を受ける。
②担当医は変わるが、本院で診てもらう。
先生の説明としては、治療のクオリティはどちらでも変わりません。ということだった。
僕の選択は本院で治療を受けることだった。
理由は、分院の血液内科自体先生の数、患者の数ともに人数が少なかったのと、以前移植病棟に1ヶ月だけ入院した時、クオリティが高かったので、分院でもそのクオリティが出せているか、
回診などで接したほかの先生もみんなすごく感じが良かったこと。
つまり、先生が変わる不安よりも、分院とはいえ、病院が変わる不安の方が上回ったので、本院で治療を受けることに決めた。
あと、場所的に友達の見舞いはほぼこれねぇだろーなって場所だったってのもあった(結果的にそんな来なかったけど笑)
k先生は白血病という病気になって出会った最初の先生だし、2年間毎日のように顔を合わせ、辛い副作用や危ない状況をともに乗り越えてきた。クラスにいたら友達になるタイプじゃないけどw、優しくて良い先生でした。たくさんお世話になって、たくさん思い出があります。
再入院後も病院に来た時は僕の病室まで、顔を出してくれて、とてもありがたかったです。
こうして新しいチームで難治性白血病(all)との戦いは始まりました。
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