「Rebirth(仮)」(22)

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この記事は、兄の高校時代のご友人で、トライアスロン選手の椿浩平さんについて書かれたものです。椿さんは2016年に、主に小児の小脳に発生する悪性脳腫瘍である「髄芽腫」を発病しましたが、現在は病気を克服され、パラトライアスロンの伴走者としてもご活躍されています。

椿① 2016年5月

白血病になってから4年間、常に孤独だった。


周りの友人は卒業して、就職して、キャリアを積んで、結婚するやつもいたり、子どももいる奴もいたり。

俺はそんな普通とあまりにも違い過ぎた。

友達といる時はそんなこと感じさせないように、気丈に振る舞ってきたが、自分だけ取り残されたような気持ち、治療の苦しさ、精神的は辛さは決して理解されない孤独な気持ちが常にあった。
 もちろん、家族は常に一緒に闘い、サポートしてくれたから真に孤独ではないが、そとの世界では孤独だった。


俺の高校時代はめちゃくちゃつまらなかった。野球部で毎日夜遅くまで練習して、授業はずっと寝てて。おかげで大学受験は苦労したし、友達もぜんぜんいなかった。ちなみにその名残りで高校時代の女友達にはだいたい「谷口くん」て呼ばれてる。笑

椿は2年で初めて同じクラスになった。
おれは1年の時は頭良いクラスにいて(ドヤ)、普通科から隔離されてたから、野球部のやつ以外ぜんぜんわからなかったが、椿は高校時代からトライアスロンで日本代表とかで、学校のちょっとした有名人だったから存在は知ってた。

2年で初めて知り合って、仲良くなって、3年も同じクラスで男が10人とかいないクラスだったのもあって、ずっと一緒にいた。
3年の受験期、椿は家も近かったし、最初地元の早稲田(所沢)行くって言ってて、ぜんぜん友達いない俺だったが、「こいつとは一生縁ありそうだな」ってなんかそんな気がしていた(椿はなんとも思ってなかったかもしれないけど笑)

でも、結局椿は筑波大学に行くことになって、物理的な距離と競技の忙しさも相まって疎遠になっていった。

椿② 2016年5月

椿は最初に入院してた時に、一度お見舞いに来てくれて会ったが、それ以来会ってなかった。会ってはなかったが、トライアスロンのニュースとかテレビで見るたびに、「すげーなぁ、頑張ってるなぁ」って、なんかちょっと遠い存在になった感じがしてた。

移植後、自宅療養中のある日、ふとテレビをつけたらトライアスロンの国際大会がやってた。椿は惜しくもリオオリンピックは逃したが、その代表選手を抑えて、日本人トップで帰ってきた。

その数ヶ月前に久しぶりに椿が連絡くれて、結婚の報告と実家に帰ってるって言ってたから、久しぶりに会っていろんな話をしたかったが、結婚して、競技も順調でなんだか俺の遥か先に行ってしまったような気がして、「それに比べて俺は… そんな椿に俺は会ってなにを話すんだ」って。情けないけどマジでそんな事を思ってた。


だから、病気を克服して、社会復帰して自信を取り戻したら、堂々と会おうと。なんの引け目なく、同じレベルで。会わなかった間のお互いの事を、そしてこれからの夢を語りあいたいって思った。

椿③ 2016年 9月

それから数ヶ月後、おれは関西の祖母の元へ訪れていた。移植入院中、祖母はうちに来て、入院している俺の世話で忙しい母親の代わりに家の事をしてくれていた。
移植後、後遺症もなく順調だったので、お礼を言うことも含め、遊びに来ていた。

その日は大阪の友達とご飯の約束をしていた。大阪駅で友達を待っているとLINEが一通届いた。 

椿からだった。

内容を見て愕然とした。


数ヶ月前から調子が悪く、病院で診てもらった所、脳に腫瘍が見つかったこと。
最近その腫瘍を手術で取ったこと。
その腫瘍は悪性腫瘍であり、今後放射線治療を受けなくてはならないこと。(実際は抗がん剤治療も行われ、ほぼ1年間の病院生活になったが)
長期生存率50%の病気だということが書いてあった。


ありえない。  


一体これはなんなんだ。 

なんで椿なんだ。

椿は今大切な時期なんだよ。

まじで東京オリンピック出れるような選手なんだよ。あとちょっとなんだよ。

俺は高校の頃、椿が競技のために全てを犠牲にして努力していたのを見てる。


おれが社会で活躍して、椿のレベルまでいこうと思ってたのに、椿がおれのレベルに、癌患者の世界にくるって、そんなことあるか??

いろんな思いが一瞬で頭の中をぐるぐる回っていった。

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