怒る事でしか繋がれなかった私へ

それは自己啓発本なんかが流行り出しちゃったせいなのかもしれない。

それ以前の話なんて私は知らないけれど、とにかく今の自分ではない自分を求められている雰囲気だけはバンバン伝わってきていたし、自分も求めていた。


だから「ありの〜ままの〜」と今の自分を受容しようという物語が刺さったのも必然のような気がしてならない。


所謂毒親と言われるワードを目にした私は、親への怒りが親と繋がる唯一の手掛かりになっていた。

何も持たされていない自分、何を武器とし、どうやって生きていけば良いのか全く分からず世界に放り投げられた怒り。

ただただ困惑していた。

その頃、友人関係でも上手くいかないことが続き怒りはエスカレート。

どうしたらいい!?どう生きたらいい!?手掛かりがない。

その怒りは社会で上手く立ち回れない自分や、社会そのものへと繋がっていき、

今思えば、ずっと怒っていた。不満だらけだった。怒りで気力を使い果たしていた。


怒ることで世界と繋がっていた。そういった錯覚があったのだろうと思う。

その繋がり方しか知らなかった。それを手放した途端、きっと世界との繋がり方が分からなくなる、だから手放せなかった。きっとそういうことだった。

怒りが手放しづらいのは、それが唯一の手段になってしまっているからなんだと手放してみて思う。最後の手段。縋り付いているもの。


確かに怒ると、周囲は困惑するから、コントロールできる。孤独を紛らわせることが出来る。(でもそれって同じような怒りや怯えを持っている人なんだよね、怒りや怯えを持たない人ってコントロールされない、去っていく)

そうすることでしか繋がれない、悲しさ。困らせたいわけではない。ただただ分からないのだ、繋がり方が。困っているのだ。

それが辛かった。



今思うのはただ単にやっぱり、人と繋がるのが本当は怖いということ。だけど寂しいと言うこと。

最初の他者である親との関係すら築けてないのだから、当然か、とも思うけれど。

怖い思いをして、服従させられて、人と繋がることは恐怖を伴うんだと思い込んでいた。

言うことを聞く。上か下か。強者と弱者。恐怖、怒り。


で、ここまで思い至って

あれ?これってきっとどこにでも転がっていることだな、と思う。

些細な事で陥る、人間関係の抑圧。

きっと人と上手く繋がれなかったのは親も一緒なのだ、友人も一緒なのだ。


繋がれない経験が重なる度に臆病になって、拒絶する方が楽になる。

いつまでも慣れない。むしろ分からなくなる。


ひとりぼっちの人は多いんだろう。

ひとりぼっちが嫌な人も多いんだろう。


拒絶する楽さを覚えるたびに増す、寂しさ。

寂しさや悲しさという隙間に風が吹いて、怒りの火力が増している。


でもさ、それが悪いってわけじゃないって今は思える。

それもグラデーションの一部なのだ。

喜びを暖色、悲しみを寒色に例えるならば、

寒色を沢山持てる人なのだ。


ただ、寒色ばかりだと人によってはバランスを崩すよねというだけ。(崩さない人だって居るだろう、私は崩していた。自分の色で描ける風景が変わらなすぎて辛かった)


ありのままを認められないのは、評価されようとしてしまう自分だったりして。

そんなものに慣れてしまっているからだったりして。

無理矢理色を色を増やそうとするから、持っている色さえ手放してしまう。


心地よい社会って、どんな色を持っていても認められる、良い意味で無関心な世界だと思う。

自分は寒色しか持っていない。あの子は24色も持っている。あの子は黒だけ持っている。

「しか」「も」「だけ」が邪魔なのだ。

自分は寒色を持っている。あの子は24色持っている。あの子は黒を持っている。

持てるもので、出来ることをする。

自分に従わせたりするように、相手に自分と同じ色を持たせようとしたり、持てるもの以上を持たせようとするからおかしなことになる。

その人がどんな色を持っていて、これからどんな色を手にするか。

持たされたものはどんな色なのか、持っている色はどんな色なのか。

これから持ちたい色はあるのか。


パソコンが普及して、自然が少なくなり、変化のない日常が当たり前になっている人も多いだろう。

でも本来ダイナミックな変化が日々繰り返されている。そしてそれは一律じゃない。


差異に敏感なのは、変化が無い生活に浸っているからだろう。

変化に慣れていない。


みんな違ってみんな良いは当たり前の事。

今だって刻一刻と変化している。


社会から弾かれたと怒っていたのは、差異を感じていたからだろう。

私は違うと高みの見物を決め込んだところで、差異に怯えていた。


差異に怯えていたのは、持っているものがあまりにも少ないと劣っていると思っていたから。比べていたから。

私とあなたの違いを受け入れられないのは、怖いから。

圧倒的な違いに悲しくなるから。

圧倒されてしまう怯えた私が居るから。

その度に自分の持っている色だけが濃くなっていく。


でもそれが当たり前なんだろう。


人は泣きたくなるほど、圧倒的に孤独。怖い。


でもそれが当たり前。


ただ、私の持っている色とあなたの持っている色で何が出来るだろう?

混ぜると色が増えるね。私の色もあなたの色も増えるね。

色んな風景が描けるね。

それだけ。


きっと繋がりってそう言うこと。

ずっとそれがしたかった。

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