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《ジムノペディ》異世界のラジオ

これは、ジムノペディの海の住民で、
とある船団の中でも
「海上の神童」と呼ばれる少年に、
地球の聴取者へ向けて書いてもらった手紙である。

◆◆◆

地球からやってきたという「観測者」の方から、
地球で住んでいる方に宛てて手紙を書いて欲しい
と言われたので、書いてみます。

僕が地球について教えていただいたことのなかで、一番驚いたのが「時間」という概念でした。

もちろん、僕たちにも時間の概念はあるのですが、
地球のように「分」や「秒」といった細かい単位は存在しません。

地球に比べて時間による環境の変化が乏しいジムノペディでは、時間を発見することがとても難しかったのです。

しかし、植物が枯れたり、
動物が死んでしまったり、
そういう悲しみの中で、僕たちは「時間」がもたらす物体への影響というものを考えるようになりました。

ジムノペディでは、生物によって与えられている時間が異なると考えています。
時間は、みんなにとって共通して流れるものとして考えるのではなく、
それぞれが持つ時間を、それぞれの速さで消費していくのです。
有名な時間の研究者で、詩人でもあるパルシュルムは、
生命を「波に揺られるまま進み、朽ちてゆく孤独な船」に喩えました。

ジムノペディを造ったとされる女神が永遠を生きることが出来たのに対して、
僕たち人間は時間が尽きてしまうと死んでしまいます。
誰かと永遠の別れをするたび、
人は、どうして悠久の時を泳ぐ船になれないのだろうと、僕はいつも思うのです。

いつか、地球へ行って、
空の色が変わるところを見てみたいのですが、
地球というのはとても遠い場所にあるんだそうですね。
僕は将来、人間が永久に生きれるような研究をしたいと思っているので、
長生きをして、きっとこの目で「太陽」というものを見てやるつもりです。

どうか僕の船が、地球のみなさまにも届きますように。

トリビアッキ=ロッココ  

◆◆◆

少年は、澄んだ青緑色の瞳を輝かせ、
私と会話してくれた。
齢12歳とは思えない「神童」であった。

時間というのは、地球に住んでいる者からすれば
わざわざ「発見」するまでもない
当然の摂理であろう。

しかし、朝も昼も夜もない世界では、
1日という単位は存在せず、
むしろそれぞれのバイオリズムこそが
唯一の時計的な役割を担っていた。

それゆえに、一番短い時間の単位を訊ねると、
「鼠の心拍数かな」
と困った目つきで少年が答えたのが
なかなか詩的でよいと感じた。

あいまいな単位しかないせいなのか、
ジムノペディの住民は
共通の時刻というものが存在しない。
夜がないため、好き勝手に睡眠をとってしまうし
食事だって各々が食べたいときに食べる。
果ては、待ち合わせするときも、
場所は決めるけれど、
何時とは決めずに
連絡を取り合って集まるのだそうだ。
仕事も出来高で報酬が決まる形態になっており、
勤務時間というものは存在しないらしい。

こういう話を聞いていると、
確かに時間というものは
それぞれが独自に持っていても
成り立つのだなと感心してしまう。

ひょっとすると、ジムノペディと地球は、本当に時間の在り方が違うのかもしれないが。

……さて。

彼の将来の夢は、
手紙にもあるように「死」という
最大にして
絶対の
「時の病」を克服することである。

生まれ持った時間の総量を増やすことができないか
という研究は、
現在、セントラル島の科学者たちも
盛んに行っているところだ。

彼は入島試験に合格して、
生命科学を専門とする
研究機関で働くことを夢見ている。
彼の両親が言うには、
実際に彼の才能に注目した
セントラル島の審判官が、
何度か彼と面談をしに訪船したことがあるらしい。
確かに彼の話ぶりを聞いていると、
ただならぬ情熱と才能を感じられるから、
入島も決して絵空事ではないのだろうと私も思う。

果たして
彼が、ジムノペディにとって
時間を克服した希望の科学者となるのか、
唯一の平等を奪った絶望の科学者となるのか。

今はまだ、
それを知る由はない。

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