鎌倉 佐助稲荷神社~源頼朝と白狐の伝説~
最高気温36度、鎌倉にある佐助稲荷神社へお散歩に行ってきました。駅から炎天下の中、約20分歩いて到着です。
佐助稲荷と言えば、朱色の鳥居と白狐、源頼朝の伝説でしょうか?他にも色々と見どころがあると思います。開運や出世のパワースポットでもあり、ネット上では怖い場所なんて事も言われてるみたいですね。
今日行ってみて思った事は、この場所に関しての知識など無くても「何か」を感じられるような場所であり、不思議な気分にさせてくれる場所なのでパワースポット好きな人にはおすすめですよ!!
そんな不思議な何かをより感じる為に、そもそも鳥居とは何なのか?白狐とは何なのか?そして源頼朝の伝説などをご紹介します。
鳥居(とりい)は、日本の神社の入り口に立つ門で、神域と俗世を分ける象徴的な存在です。鳥居は、一般的に二本の垂直な柱と、その上に水平な笠木(かさぎ)や島木(しまぎ)が乗った構造を持っています。鳥居の起源ははっきりとはわかっていませんが、古代中国やインドの門やアーチと関係があると考えられています。最も古い鳥居の記録は、平安時代(794-1185年)に遡ることができます。平安時代から鎌倉時代(1185-1333年)にかけて、神社建築が発展する中で鳥居も一般化したそうです。
白狐(びゃっこ)
神社にいる白いキツネは、稲荷神社で特に見られる存在で、稲荷神(いなりのかみ)のお使いとして信仰されています。稲荷神は、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全などを司る神であり、日本全国に多くの稲荷神社があります。白いキツネは「稲荷神の使い」として特別な役割を持っています。彼らは神と人間の間を取り持つ存在とされ、神社の守護者としての役割を果たします。白色は神聖さや清浄さを象徴し、そのため白いキツネが稲荷神の神聖なお使いとして描かれることが多いです。その白狐霊である「命婦専女神」(みょうぶとうめのかみ)をお祀りしております。 この神様の使いとして私たちの世界に存在しているのが狐であり、その霊の名を命婦専女神と呼んでいます。
源頼朝と白狐の伝説
源頼朝は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将で、鎌倉幕府の初代将軍として知られています。彼は平家追討のために立ち上がり、最終的に鎌倉幕府を開きました。
頼朝がまだ挙兵を考えていた頃、彼は伊豆国(現在の静岡県)に流刑されていました。その時、夢の中に白い狐が現れ、彼を導いて鎌倉の山中にある稲荷神社へと案内しました。狐は彼に「ここで祈れば、必ずや天下を取ることができる」と告げました。
目を覚ました頼朝は、夢の内容を信じて鎌倉の山中にある佐助稲荷神社を訪れ、そこで祈りを捧げました。その後、彼は挙兵し、平家を倒して鎌倉幕府を開くことに成功しました。この出来事から、佐助稲荷神社は頼朝の成功を支えた「出世稲荷」として信仰されるようになりました。
神社の特徴
佐助稲荷神社は、こうした伝説を背景に持つため、特に武運や出世を祈願する人々からの信仰が篤いです。神社の境内には、頼朝の夢に出てきた白狐にちなんだ狐の像や、赤い鳥居がたくさん並んでおり、神秘的な雰囲気を醸し出しています。この伝説が広く知られていることから、佐助稲荷神社は歴史好きの観光客や受験生、ビジネスマンなどから人気があります。また、その静かで厳かな雰囲気が「怖い」と感じられる一方で、多くの人にとってはその神秘性が魅力でもあります。
神秘的な雰囲気や自然の環境、伝説や噂、これらの要素が組み合わさり、佐助稲荷神社が「怖い」と感じられることがあるのかもしれません。しかし、多くの人々にとってはその神秘的な雰囲気が魅力でもあり、観光地、パワースポットとして人気があります。
今回は日中の暑さの為、ゆっくりと見て来れなかったので、もう少し涼しくなってからまた行こうと思ってます、少し暗くなる夕方や雨の日の方が雰囲気も出ていいかもしれないですね。