
小倉智昭の夕焼けアタックルを思い出す
2024年。この年は、心がギュッとなる訃報が多かった。私の好きな著名人の訃報が例年より多かった気がする。その都度、noteに気持ちをまとめたいと思ったが、多忙につき機を逸してしまっている。
小倉さんの追悼記事は、たくさん読んだ。30年前に司会を務めたワイドショーのスタッフと定期的に会食をしていた、という記事は目にしたが、同じ時期にやっていた文化放送「小倉智昭の夕焼けアタックル」について語る記事は見かけなかった。世の中に存在しないなら、ド素人の私が書く意義はある。といっても、番組について語るんじゃなくて、自分の思い出について語るんだけど。
我が家は自営で、作業場で両親、祖父母が仕事をしていた。作業場では、文化放送(ラジオ)がかかっていた。ものごころついた頃から、作業場で遊んだり、子どもでもできる簡単な手伝いをしていたので、私は自然と文化放送を聞いて育った。「梶原しげるの本気でDONDON」「吉田照美のやる気MANMAN!」そして「小倉智昭の夕焼けアタックル」
どの番組もジングルが口をつくなぁ。あと、時報はスジャータだ。
幼稚園児だった頃から、小学校低学年にかけて、私は「箱折」の手伝いをしていた。一つ折ると10円のお小遣いが貰える。幼児だから20個も折れない。百数十円を貰って駄菓子屋さんに行った。それっぽっちでも楽しめるのが駄菓子屋の良いところだ。ちびまる子ちゃんを見たり、父の昔話を聞いて、「物価安いなぁ」と思ったものだが、こうしてみると自分の子ども時代も相当なものだ。今じゃ下手したら何も買えない。
小学校中学年になり、高学年になり、だんだんと手伝いもしなくなってきた。習い事を始めたりもして。それに伴って文化放送からも距離ができた。
自分は、自己評価では勉強はできる方だった。でも、母親というものはそれで良しとしないのが常だ。
担任教師から、国語の成績についてなにか言われたのだろうか。(自覚してるのは漢字の書き取りテストが苦手だったこと。)ある日、下校すると母が、「今から作業場に来て、国語の教科書の今習ってるところを音読しろ。」と命じてきた。
私は断った。抵抗をした。しかし、母は譲らなかった。
渋々、了承した。
嫌で嫌でたまらなかった。もうどうにでもなれ!と腹をくくって作業場に行った。
母「そこに座って読め。」父は無言で作業していた。「小倉智昭の、夕焼け、アタックルっ!」静寂を埋めるようにラジオから小倉智昭の甲高い声がした。AMラジオの、少しこもった音質だ。どこにあるのか知らないが、京葉道はいつも渋滞だ。
「赤い実はじけた」
嫌でたまらなかったのは、今習ってるところが初恋をテーマにした掌編小説だったからだ。
パチン。そのとき、6年生の綾子の胸の中で、何かがはじけた。同じクラスの哲夫が、実家の魚屋を手伝っている姿を目にしたときだった。哲夫とは1年生から一緒で、それまで何も感じなかったのに。それどころか、どちらかというと「声が大きくて、ちょっと怖いな」としか思わなかったのに……。
「不思議なのよ。綾ちゃんも、いつか赤い実がはじけるわよ」
いとこの千代が言っていたのは、このことだろうか。
父も母もニヤついていた。僕はもうどうにでもなれと思った。読み終えて、その場をあとにした。
家庭によって向き合い方は異なるが、我が家は、性や愛や恋を話題にする家庭ではなかった。「厳格」なんてことは微塵もないのだが、皆、意図的に避けているところがあった。このへんは各家庭ではっきりと分かれると思う。
であるからこそ、この話を音読するのは拷問だった。
この地獄体験は、いまもはっきりと脳裏に浮かぶ。アンビリバボーだ。
それから1年後…
中学生になった私。この1年というのは劇的なもので、声も低くなり、ちんこに毛も生えている。思春期真っ只中に、また母からお呼び出しがかかった。自分なりには、良い成績でこなせてると思っているのだが、極々一部の優等生の話を聞きつけて、自宅学習をさせねばならないという強迫観念にかられたらしい。両親の監視下のもと、作業場で「自主学習」させられた。セールスに騙されて教材を買ったのだが、それを私が、テスト前しか活用してなかったのが気に入らないとみえる。ここは、抵抗せずに従った。
またもやBGMで小倉智昭がかかっていた。本当に勉強させる気があるならラジオは切るべきだと思うのだが(苦笑)意趣返し目的でそれを指摘した場合、本当に本気で勉強しなければならなくなるため、心のなかに収めておいた。嫌々ながら100%従って、恥ずかしい音読をした1年前とは見違える成長っぷりである。
当然ながらラジオを聞くのだが… 様子がおかしい。
「これは芸術なんだ!」と小倉智昭は熱弁する。気合が入っている。スタジオを飛び出して某所から生中継だ。ロケ?聴いたことがない。
そこはストリップ劇場だった。
なんとも言えない音楽がかかっている。どうやら今まさに演じられているようだ。
「昼間からこんな放送していいんかな?」母が苦笑いしながらつぶやく。私は無関心を装いペンを走らせる。もちろん、両親とエロスについて語らうことは未来永劫ありえないことだ。
作業場での自主学習は、その日1日で終わった。
音読の時もそうなのだが、気まずくなったことが、作業場での勉強の継続を阻害したように感じる。なんとなく、お互い無かったことにしたかったような… となると、今回は小倉智昭に救われたことになる。
しっかし、すごい放送するなぁ。感心した。ストリップの実況中継、実行するなんて驚きだ。
小倉智昭の夕焼けアタックルは、程なくして最終回を迎えた。両親は毎日聴いているが、私は気づかぬうちに終わっていた。その後、入れ替わる形で始まった「とくダネ!」での活躍で、小倉智昭の名は、私の同年代にも知られるようになっていった。テレビでその姿を見かけるたびに、上記の出来事や、幼き頃に聴いたジングルを思い起こした。
そんな小倉さんが闘病の末に逝去されました。御冥福をお祈りします。自分の人生も折り返しを迎えつつあるのかもしれず… これからは思い出の人との別れが多くなっていくんだろうな、と思う今日この頃です。