8.6とおじいちゃん。
https://youtu.be/f7aC8be5CG4?si=-IWjKJ4KZiebKl7K
8.6
On that day was the sky blue / その日 空は碧かった
Many men didn’t know it coming / 多くの者は何が起きるか知らなかった
A few men knew that the day don’t clear / 少しの者が晴れない事を知っていた
A break many have melted away / 多くの者が消えていった
The city destroyed by a little mass of iron / 小さな固まりは街を殺した
On that day the earth burnt to the ground / その日大地は焼けた
The scorching sun / 灼熱の太陽
Fighter planes high up into the sky / 高く飛ぶ飛行機
Screams were mixed in a smoke mushroom / 叫びは雲に混じった
Nevertheless, the people lived through / それでも生き抜いた人々
Nevertheless, the city crept up / それでも這い上がった街
Nevertheless, the city lived through / それでも生き抜いた街
The number 8.6 is stamped in the city / 8.6という数字はその街に刻まれている
I want to more numbers fixed again / もう再び刻まれたくはない
A mountain of black stiffs / 黒い死の山
It was a night marish truth / 悪夢のような真実
I don’t want it happen again / 再び起こって欲しくない
I’m proud I was born there / 僕はそこで生まれた事を誇りに思っている
I’m proud I was brought up there / そこで育ったことを誇りに思っている
I like the peace and quiet of the town / 平穏で静かな街
僕の母方のおじいちゃんは、呉で海軍さんのコックをしていた。多分、金曜日はカレー作ってたのかな😂
直接聞いたわけではなく、母から聞いた話。
その日も、祖父は腹痛で便所にこもっていた。
胃腸の弱い人で、いつも太田胃散の缶々を枕元やコタツの上に置いてたの、憶えてる。
と、突然、目の前が真っ暗になった。
ただそれだけ。母から聞いたのはそれだけだ。
「この世界の片隅に」
アニメ映画で、主人公すず役の声を、のんがやっているがご存知だろうか。
呉を舞台に、当時のまんま、海軍さんもまんまで描く、力作だ。
おじいちゃんの当時を知りたくて、何度も何度も観たが、飽きない。悲観さがない。
強さとささやかな笑い。生き抜く意地と、負けないと信じていた、本当にそこいらにいる女性の力強く、逞しく、微笑ましい力作です。
見た人はわかるだろうが、あの日、義姉とすずは地震に驚く。多分、軒先のゆるい瓦が落ちた所を見ると、震度3〜4ぐらいだろうか。
放心する二人にご近所がこえをかける。
「すごい雲、みてみなさい!」
キノコ雲は広島の方。すずの実家がある。ちなみに実家は火災など免れたが、恐らく父母死去、妹は劇中床に伏せている。
呉は広島からみて北の方角。
その日快晴だったが、明らかに雲の影に呉が入ることは無い。(ちなみに広島から呉港まで20キロ離れている)
では、おじいちゃんが体験した暗闇は、一体?🤔
僕はこう想う。
地震で慌てたおじいちゃんは、ケツ拭くのも忘れるくらい、急いでトイレを飛び出したのではないか。
そして、見上げた空にかかる雲。
ただ事ではない、きっと海軍工廠内もパニックだったに違いない。
目眩。亡くなる前、おじいちゃんよく言ってなかったか。目眩でクラクラする、と。
心臓には寿命の尽きた電池を抱え、胃の半分を癌で切除してもなお、90近くまで生きられた。
あの日見上げた空にかかる巨大なキノコ雲。パニックの中の海軍工廠、燦々と背後から照りつける太陽、耳鳴りの様な蝉の声。
悪夢だ。青年は目眩を起こした。
恐らくソレをずっと憶えており、母に話したのではないか。
呉も散々空襲で焼け野原だったようだが、広島中心のそれに比べてどうだったろう。
復員の時、広島まで行かないと、岐阜までは帰れなかったのではないか。
美濃白川口から母の実家まで、祖父は歩いたそうである。かなりの距離だ。くるまでも30分かかる。
途中、腹が減ってスイカを盗んで食ったらしい。もう時効だろう。
夜中、目を覚ました母、当時5歳から6歳は、玄関が騒がしいのに気づき、起きてきて驚いたという。
ボロッボロの、ヒゲモジャの、ドロドロの軍服姿にゲートル、リュックの男が、そこに立っていたからだ。
あまりの汚さに、父親だと気付くのが遅れた、と言ってた。
ちなみに、おじいちゃんは飛び抜けて美男子だった。
海軍さんの集合写真を見せてもらったが、本当に顔が飛び出ていた!😂冗談では言っていない。凛々しい眉、高い鼻、甘い眼差し薄い唇、尖った顎。
「これ、おじいちゃん?!かっこええ!!!」
姉と一緒に言ったら、ブルブル震える手でキセルを吹き吹き、細い目で笑っていた。
なんで俺似なかったんだろ😂
戦争の話をしたことは無い。
自分は海軍徴兵だったが、胃腸が弱く船には乗れなかったことも、何某か気が引けていたのかもしれぬ。若い時、ある街のうどん屋でうどん作ってたって、母が言ってなかったか。
その腕を買われ、多分コックになったのだろう。
命からがら広島を脱したものの、道中、きっと死ぬ思いだったに違いない。
黒い歴史。語りたくない過去。
誰にだって語りたくないものがある。
黒で塗り固めて、見えなくしたい。そういうものも、あっていいと思う。
8.6が来ると、必ず僕は聴きにいく。この曲を教えてくれた土岐麻子&toeのヴァージョンとともに。
黒で塗り固められた、その向こうの苦しみ悲しみを覗きに。
合掌🙏
まる。
https://youtu.be/z16T6lgfZI0?si=x-NUIqZjYlvhtyyP
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?