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日曜日の堕落論

いやはや、今週もやってしまった。
溜まったアレコレを土日で片付けようと期待していた先週金曜日の自分に謝りたい。

考えなければならなかった企画も、書かなければならなかった企画書も、まとめなければならなかった月報も、手つかずである。
かといって、観たかったNetflixの「白と黒のスプーン」も「阿修羅のごとく」も開かず、積読の高さも変わらず、というかむしろ新たに本を買ってしまったので、高さは増してしまい、先週買った中古レコードも開封せず、散らかった部屋もそのまんま。
だらだらYouTubeを見たり、そのまま寝落ちしたり、やたら風呂ばかりはいったり、酒を飲んだり、ほぼ何もせず、ボーっとしてしまった。

年末に、坂口安吾の「堕落論」を読んだのを思い出す。
時代背景や基本的な教養が欠けている僕が読んでも、あまり、本質的な理解には至っていないのだが、あれは、戦後の天皇制とか武士道とかそういう、時代の共通認識である倫理道徳、集団的なべき論みたいなものを、一刀両断して、もっと、そういう建前をぶっ壊して、裸となり、今一度ひとりの人間として、本音で、やり直そうよ的な提言だったように思う。
それを、堕落と呼んでいて、堕落には孤独がつきものなんだと、かなり力強い文体で綴っていた。

あの頃の作家はとてつもなく語彙が豊かで、魂がほとばしる文章を書くものだと、感心しつつ、それキッカケで坂口安吾の代表作「白痴」も読んだけど、今の時代では書けない類の内容だけど、その心の底から湧き上がる力強さに圧倒されたものだ。というわけで、昔の文学にハマりつつある。(太宰治は2ページ読んで止まってるけど…)

話は脱線したし、しかも、僕の堕落っぷりとはまるでレベルの違う話だけど、一見無駄に過ごした土日も、坂口安吾を思い出したことで、なんだか、意味のあるものに感じてしまった。サンキュー、安吾。

そういえば、先日、もう前期高齢者の仲間入りをした、大先輩たちと飲んでいたら、創作活動において、本能の赴くままに表現するのって大事だよねという話になり、何かを狙うんじゃなくて、思うがままに、自分を思い切り開いて、気持ちいいと感じる方向に筆を滑らせていくのがいいよね、という話になった。

「とらわれたるタブーをすて、己の真実の声をもとめよ」
と坂口安吾は書いている。

きっと、そういうことなのだ。
と、先週金曜日の自分への、ずいぶん遠回りな言い訳になっちまったな。


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