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母という椅子


産まれて2ヶ月の我が子は細くて軽いものなら掴めるようになってきた。紐とかネックレスとか。そんな中でも1番お気に入りは髪の毛だ。

ぐずる我が子の隣で一緒に寝そべると、私の髪の毛を掴み取る。髪の毛を口に入れてみたり、掴んだ手を振ってみたり。そうしていると次第にご機嫌になる。

もういいでしょ、と思って髪の毛を手から離させると大声あげて泣きだす。必死に髪の毛にしがみつく様子が、赤ちゃんの非力さから助けを乞うてる姿にも見えてしまう。

ふと、昔読んだ芥川龍之介の蜘蛛の糸を思い出してしまった。あぁ、馬鹿野郎だな。わたしは。何もできない我が子を前に御釈迦様にでもなったつもりなのか。ばかたれが。

私には私の人生があるように、この子にはこの子の人生が待っている。まして、母親は神ではない。社会が作る母親像が立派すぎて、母親の椅子には座ることもできない。

だけど、我が子の側にはいたい。辛いことも悲しいことも分かち合おう。あなたが覚えていないあなたの成長を私は忘れないでおこう。
ただ何もせず時間を溶かしていき、ゆっくり歳老いていく私を追い越してあなたは大きくなるだろう。

今日は秋晴れで、夏から冬に向かっている。

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