語学 苦学 楽学
さて、語学のあり方に関しては、<苦学>を佳しとするでしょうか、それとも<楽学>を佳しとするでしょうか。
その前に、まずは両用語を便宜上簡単に定義しておきましょう。
<苦学> 刻苦勉励して学習に勤しむこと。or 自腹を切ってでも学習の機会を保持しようと努めること。
<楽学> 楽をして学習を進めようとすること。or とにかく愉しく愉快に学習したいと願うこと。
まあ、答えは人それぞれでしょうが、おそらく大方は即座に<楽学>!と答えるのではないでしょうか。いかがでしょう。
しかし個人的には、天邪鬼かもしれませんが、これには間違いなく即座に<苦学>!と答えますね。(もちろん<楽学>を全面否定はしませんが。)
そもそも、<楽学>大好き!という方で<真の実力>(この言い方も少々変ですが、敢えてこう表現しておきます)を身につけた御仁というものに、幸か不幸かいまだかつてお目にかかったためしがない(<自称>「大家」「達人」は別として)。
それから、よく、「難しい内容を難しい言い方で説明することよりも、難しい内容をやさしくわかりやすい言い方で説明することの方が実は困難で、かつ大事だ」といった趣旨のことを得意げに話す人がいます。全面否定はしませんが、「難しい内容をやさしくわかりやすい言い方で説明」したものというのは、実はあくまでも<便法>に過ぎないのであって、専門の世界では結局は穴だらけで使い物にならない、という側面を門外漢は残念ながら理解していません。
さらに、上の二分法との兼ね合いで付け加えるなら、世人は得てして、<苦学> ⇔ 文法・読み書き、<楽学> ⇔ 発音・英会話 というあまりに単純化し過ぎた図式をパブロフの犬よろしく連想しがちですが、これは本当に困ったものです。これははっきり言って短絡思考の最たるものですし、さらに言うなら「売らんかな」を金科玉条とする販売業者にすっかり洗脳されてしまっている可能性さえありますね。
現実には、<苦学> ⇔ 発音・英会話、<楽学> ⇔ 文法・読み書き という側面だってあるにはあるのだし、それに気がつかないままだと、結局は <自称>「大家」「達人」に騙されたり、業者に言いくるめられて大枚をはたいたり、ということになりかねません。そして、それでもたとえば英会話が身につかない場合、二言目には伝家の宝刀の如く「日本の学校英語のせい」を持ち出す。これでは結局何の解決にもならない。はっきり言って、語学は八割方「自己責任」です。「自腹を切ってでも学習の機会を保持しようと努める」本物の<苦学>者は、こんな責任転嫁はしないものです。
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