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日本語(関東方言)の「母音の無声音化」(3)

日本語(関東方言)の「母音の無声音化」(3)

まずは、前回第2問

の回答例です:

「母音の無声音化」は、実は、

 発話の最後の「...で。」の「」の母音 [ɯ] も通常無声音化する

という点も考慮するなら、

無声子音に挟まれた」とするのでなく、後続子音に関しては「非有声音」の場合、とした方がいい、ということになります。
有声音」とすれば、「無声音」のみならず「無音」も含みますからね。因みに「です。」の場合「無音が後続しますね。([desɯ(←無声音化)+無音


さてここで、勘のいい方は以下のような疑問をもたれたかもしれません。
即ち、

「きく」、「くつ」等の母音 [i]、[ɯ] が無声音化する現象

のメカニズムというのがそもそものトピックであった↓が、

https://note.com/real_hare9943/n/na8e38cefd0b7

では、
「きく」、「くつ」等に、いま上で見た<発話末母音 [i]、[ɯ] の無声音化>も同時に適用されてしまったらどうなるのか

という疑問です。つまり、

「きく」、「くつ」等では、現実には<発話末母音 [i]、[ɯ] の無声音化>が通常は観察されない筈であるが、こうした事実・データはどう説明されるのか?

という疑問です。

同様に、「しし」が発話末に来た場合はどう説明されるのか?

という疑問です。


この疑問点に関する回答は、次のような形になるものと想定します。即ち、

日本語(関東方言)には以下に示す制約が課されるというものです。
(ただし、「しし」に関しては明日の記事も参照)

日本語(関東方言)に課される制約

もちろん、こうした発音は、例えば敢えてゆっくりと発音するといった発話deliberate speech)の場合にはまた違った様相を呈してくる可能性もあります。けれども、それはそれで<文体>という別な因子が関与するのであって、また、不自然なほどにゆっくりとしたわざとらしい発音の場合であれば、そうした代物は、ある意味、言語直感を素直に反映したデータとは言えないという可能性も出てくることになるわけです。

あるいはまた逆に、発音器官の運動がついていけないほど速いスピードで読み上げようとしたような場合も、それはそれで、解剖学的 and/or 生理学的に別種の因子が関与してくる、ということになります。


(なお、これまで<無声音>という言い方をしてきた関係上、ことによると誤解をされた向きもおいでかもしれませんが、実は、筆者が正式に想定する<ひな形方式>という枠組では、共時態レベルでは構造を変えてしまうような<変更規則>は一切禁止される、と想定します。つまり、理論的には、<有声音が無声音になるに化ける>と見るわけではない、ということです。そうではなく、<有声・無声に関して無指定である音>が、これこれの<ひな形に合致する場合>は<有声音>として実現し、しかじかの<ひな形に合致する場合>は<無声音>として実現する、と見ることになるわけです。つまり、<…になるに化ける>というような紆余曲折を経るわけではない、そのように想定する枠組は、共時態に関する理論として直感に反するし、誤謬である、という強い主張です。

こうした<ひな形方式>については、日英のデータを基に、ゆくゆく、正式にかつ詳細に論じたいと思っております。)


さて、今日は
第3問です:

「くつ」の母音 [ɯ] は(関東方言で)無声音化しますが、「クッキー」の母音 [ɯ] は(関東方言で)無声音化しません。

これはなぜでしょうか?

(因みに、英語の場合、coots の [uː] も cookie の [ʊ] も無声音化しません。)

今回も、どうぞどなたでも奮ってお答えください!

回答例は明日。

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