未踏襲エリアの開拓
キヤノン販売の駐在員としてアメリカに赴任
その後、Macintoshの売上は安定するようになり、私も管理職になった。売れたことによりApple社やMicrosoft社との独占販売契約は解消となり、各社の日本支社がイニシアティブを取るようになった。キヤノン販売から何かを仕掛けることが少なくなり、正直退屈していた。転機が訪れたのはその頃である。
新たに海外から新しいソリューションを輸入する必要が生まれていたが、それを担う組織がない。当時はソフト会社との交渉や新商品のリクルートは、ほとんど私一人が担当していた。組織立ったリクルートの必要性を社長に訴えたところ、キヤノン販売のアメリカ支社の立ち上げの話が持ち上がり、そのメンバーに私が指名された。
アメリカに赴任し、ほぼゼロから会社の立ち上げを行った。勝手の違う国での初めての会社設立は勉強にもなったが苦労も多かった。会社が軌道に乗る前に日本に戻ることになり、満足な結果が残せなかったのが残念だ。
アメリカの駐在員から独立・起業へ
日本の会社を代表して相手と交渉するネゴシエーター役を担当し、アメリカ人との交渉術をたくさん学んだが、やはり私にはMacintosh黎明期の時期のワクワク感が忘れられないようだ。いわゆる「未踏襲エリアの開拓」が一番好きだと確信した。
まだ誰も踏み込んだことがない、新しい分野の立ち上げにチャレンジしてみたいと思い、1992年にキヤノン販売を辞職しアメリカでの起業を行うことにした。
アップル事業部時代、部下から「すべてを出し切っているように見えるが、不安はないのか」と問われたことがある。そのようなことは考えたことがなかった。自分がカラッカラになるまで出し切れば、新しいアイデアが湧いてくると思っていた。独立したときにもまったく不安がなかったわけではないが、新しいことにチャレンジするワクワク感のほうが上回っていた。