井のなかの蛙、大海を知らず
Macintoshの販売は未踏襲エリアだった
たとえ見通しが立たなくても、自分が信じたものには全力で力を注ぐ。キヤノン販売でMacintoshに携わった5年間は、誰もが行っていない未踏襲エリアの開拓そのものだった。そして、その後の私の人生を大きく変えてしまうほど濃いものでもあった。
アメリカに遊学した大学時代からキヤノン販売への入社、Macintoshやそれに携わるさまざまな人々との出会いをここでは振り返りたい。
大学時代から発揮していた営業センス
「モノを売る」ということについては、大学時代から自信があった。青山学院大学在学中にデパートの紳士服売り場でアルバイトをしていたが、勤務初日に20着以上を売り上げたことで、周りから驚かれた。ちなみに販売員の1日の平均売上は4着。それを大幅に上回っていたことで、メーカー専属となるように頼まれた。
いわゆるセールステクニックを人から教えてもらったことはなく、常に「どうやったら購入してもらえるだろう」と考え、動いてきた。人は目的があるから購入する。スーツであれば、それをどのようなシーンで着るのか、どのようなものであれば使いやすいのか、シチュエーションを教えてあげることがコツだと当時から考えていた。
アメリカ遊学時代の大きなできごと
順風満帆のアルバイト生活だったが、当時一緒に働いていた海外の放浪経験のある細井さんの「井のなかの蛙、大海を知らず」という言葉で自分の考えが一変する。大海を知るためにアメリカ行きを勧められた私は、大学の教授のツテを頼ってアメリカのディープサウスの大学への留学を決意した。
しかし、当時の私の英語力はほぼゼロ。話せるようになるためには、まず自発的なコミュニケーションが必要だと思い、夜な夜なアメリカ人の友人に飲食を奢り英語で会話をしていた。いろいろな人種がいたが、会話をし続けたおかげで2、3か月もすれば、英語でケンカができるようになるまでに成長した。今思えば、自分のコミュニケーションスキルがここでも役に立っていたのかもしれない。
学生時代、バックパックで世界一周をしたことも良い思い出だが、忘れられないのがアメリカ一周をしていたときに起こした自動車事故のこと。車が横転し、あわや死亡事故につながる大事故だった。「自分は一度死んだ」と、特攻隊の生き残りのような気持ちになったことを今でも覚えている。私の「生かされた命だ。何にでもチャレンジしてやろう」という精神はこの時に生まれたと思っている。