18番勝負
次の一手でグーンと伸びた売上
Excelの評判もよく、多くのセールスマンがMacintoshを販売できるようになったことで売上も安定してきた。しかし、常に順風満帆とはいかないのがビジネスの世界。今度は競合他社がMacintoshの弱点である日本語の脆弱性をついてくるようになったのだ。
確かに、Macintoshの日本語ワープロはあるものの、NEC PC-9801のワープロと比べれば大人と子どもの差。この差はそう簡単に埋まりそうにない。それであれば違う戦略しかないと考えた。
そこで私が目を付けたのは、アメリカで流行の兆しを見せていたDTPだ。Aldus PageMakerと呼ばれるDTPソフトを日本語化し、「ワープロは時代遅れ。今はDTPの時代」というフレーズで広告をひたすら打つことに決めた。
この広告の打ち出しや製品化にはかなりのコストがかかり、PageMakerの販売の売上ではまかないきれなかった。しかし、プッシュし続けたことで次第に「Macintoshの日本語は大丈夫」という意識が浸透するようになる。それに伴い、売上は急増することになった。
キヤノン販売の販売代理店網の強さが発揮できたのである。次の一手は私にとって大きなチャレンジであったが、取り組んでよかったと今でも思っている。
自分が最終的に何台のMacintoshの販売に寄与したかは分からない。セールスとの同行で日産の研究部門から1,000台もの受注を受けたのを覚えている。当時のMacintoshの販売シェアは米国では8%程度だったが、日本では20%ほどのシェアを獲得することができた。
新しいショーのヒントは「18番勝負」
データショーなどの大きなイベントで、Macintoshをプレゼンしていたのもこの時期である。ありきたりなプレゼンはしたくなかった。当時のイベントでは見た目の良い女性にセリフを覚えさせ、壇上できらびやかに商品を紹介する手法が定番だったが、これではMacintoshらしくない。
何かアイデアはないものかと考えたとき、幼い頃祖母と見に行った松竹新喜劇のことを思い出した。松竹の大スターであった藤山寛美さんは、一時期、開演前に舞台上に18本ののぼりを下げ、観客から見たい舞台のタイトルを聞いてそれをすぐに行う、いわゆる「18番勝負」と言う形式を取っていた。
ショーではこの形式を真似て、Macintoshのデモの演目をかかげ、何を見たいのかをお客様から聞いてみることに。音楽ソフトやデザインソフト、ビジネスソフトなど、リクエストに応えて見せていると、通路が埋め尽くされるほどの人が集まり主催者に注意されたのだ。
これがきっかけで、ビジネスショーなどでのプレゼンの定義が大きく変わったと広告部の人に言われたことを覚えている。また、ビル・ゲイツも立ち見でみてくれていて、立ち話をした。10数年後に、彼とホテルの廊下ですれ違ったら「元気?」と声をかけられ話しをした。彼の記憶力は凄いと言われていたことは本当だと思ったものだ。