見出し画像

なぜキヤノン販売がApple製品を販売するのか?

なかなか売れなかったMacintosh

「なぜキヤノン販売がApple製品を販売するのか?」と疑問を持たれそうだが、これは当時キヤノン販売の社長であった滝川精一氏と、Apple社の日本代理店を探していた福島正也氏の思惑の一致にある。当時、滝川社長はキヤノン販売の東証一部上場を目標に掲げていたが、キヤノン製品100%での上場は難しいと、証券取引委員会から指摘されていた。

時を同じくして、発売予定であったMacintoshをビジネス分野で広めようとしていた福島さんが、キヤノン販売の販売力に目をつけ滝川社長に話を持ち掛けたのだ。スティーブ・ジョブズも来日し、提携まで話はトントン拍子に進んだと聞いている。

Time - Commemorative Issue Steve Jobs

キヤノン販売とApple社の提携までは順調だったが、肝心のMacintoshの販売は苦労の連続だった。まず、1980年代半ばはNEC PC-9801の全盛の時代であり、外国製のMacintoshでは、日本語対応のワープロや多くのソフト郡にはとても太刀打ちできない。加えて価格も他社より2倍以上も高く、一部のAppleファンや研究目的のメーカーなどにしか購入してもらえなかった。

またキヤノン販売社内の反対派の存在も、悩みの種だった。当時アップル事業部内には25人のメンバーがいたが、そのうちキヤノンのプロパー社員はわずか数名程度。残りはNCRやオリベッティなど、社外から集めたメンバーで構成されていたのだ。異動前、私はキヤノン販売のカメラの営業部に在籍していたので、事務機分野ましてやApple製品の企画部では何をしたら良いのか分からなかった。

なにせキヤノン販売の事務機の販売代理店は、複写機をメインに扱って成長してきた会社がほとんどで、デジタルの「デ」の字も頭にない販売代理店が大半を占めていたのだ。キヤノンの冠がついた販売代理店では、Apple製品を販売する意義を見いだせないと感じている人も多かった。また、秋葉原などの電気店とのパイプも薄く店頭に置くこともできなかったのだ。

困り果てていた私だったが、旧知のナニワ商会を頼りMacintosh専用のブースを用意してもらったことで少しだけ風向きが変わる。ダイレクト販売しか経験のない上司に一目置かれるようになったが、まだ問題は山積みであった。

子どものおもちゃが1万円の任天堂なら、経営者のおもちゃは100万円のマックだ!

これは当時の私が掲げていたスローガンである。アップル事業部のセールスは元々ダイレクトセールス出身であり、販売代理店営業を苦手としている人が少なくなかった。まったく売り上げが上がらないなかでの販売活動は、まるで穴の空いた柄杓で水をくむような作業を行っていたようだった。これではいつまでたっても埒が明かない。

私はそこであえて販売ターゲットを絞ることにした。そのターゲットというのが、裕福な跡取り息子だ。発表会などで興味をしめした跡取り息子をピックアップした。その販売代理店社長や会長の父親に対して、これから必ず来るであろうデジタル時代の話をし、跡取りとなる息子にデジタルを学ばせる必要性を説くことにした。

ターゲットであった跡取り息子たちには販売シミュレーションを実体験してもらい、Macintoshの良さをひたすらアピールすることに。重要な機能は事後処理ではなく、予測処理機能である。これまで電卓で行っていたアナログな売上予測もMacintoshで行うことで、的確かつ迅速な経営判断ができるようになると訴えた。

すっかりMacintoshのファンになった跡取り息子は、友人筋や若手社長たちに次々と輪を広げてくれることに。Macintoshの販売は少しだが上向いていった。

Macitoshの教本「マックのイロハ」誕生

跡取り息子作戦によってMacintoshの販売数は少し増えたものの、多くの販売代理店では無関心が続いていた。無理もない。デジタル人間は当時ほとんどいなかったし、今のようにMacintoshの情報も充実している時代ではなかったのだ。しかし、現状を放置しておくわけにはいかない。そう考えた私は、Macintoshの情報を効果的に伝えられる初心者向けの教本を作成した。

これが「マックのイロハ」である。この教本を完成させた私は全国行脚をすることになる。全国の販売代理店を巡って、販売代理店のセールスに講習会を行うことにしたのだ。これが非常にハードスケジュールだった。なにせ今日は札幌、明日は福岡、明後日は高松、といった具合に毎日毎日遠方に移動して、講習会を行っていたのだ。ホテルの部屋で目覚めたときに、今どこにいるのかがわからないというほど疲れを感じていた時期もあった。

この本を使用して多くの講習会を行った。
マウスが机の端まで行ってしまい、助けを求める姿を思い出す

しかし、一人でも多くのセールスにMacintoshを知ってもらうためには、泣き言を言ってはいられない。それもただMacintoshの知識を詰め込むのではなく、セールスみずからが自分の口でお客様に話ができるように教えなければならなかったのだ。

数か月間かけて全国をまわったかいがあり、販売代理店のMacintoshへの関心は高まった。そうかといってMacintoshの売上が著しく向上したわけではない。この点は大きな問題として残されたままだった。