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晴天の霹靂 #86

さて、姉の住まいと荷物を収めるのに、四苦八苦だった翌週。

母を大きめ病院に連れて行く事にしました。

高熱、といっても38度ちょっとで、なにより本人が別に苦しそうではない。咳に悩まされる事もなかったし、元気だったので、ただの風邪が高齢で長引いているだけ、と思っていた。

病院の問診票に記入を済ませたら、いきなり、普通のロビーからパーテーションで仕切られた狭い空間に通される。⁉️なんか様子がおかしく無い?

怪しいムードに焦りを感じ始める。

コロちゃん疑惑のPCR検査の後、別室移動で血液検査、レントゲンと進む。いつの間にか、さっきまでわたしが母の車椅子を操作していたのが、看護師任せとなり、母はビニールシート(透明)に覆われたベッドに寝かされているのが見えるが、接近禁止を言われる。

途中、別室にわたしだけ呼ばれて医師から説明を受ける。肺炎起こしている。更に今、結果待ちになるが、もしかすると結核かも?と言われる。

結核でもし重症だった場合には、6ヶ月の入院が必要言われて青ざめる。

結核だった場合、東京都の専門病院への転院が必要。ただし場所をたずねると、なんと清瀬市‼️八王子より遠いよ‼️そんなところに入院されたら、必要なモノ届けるだけでも大変じゃないか。

先生の方から、他の県になるがもっと近場の病院でも空きがあれば入れると提案されたのが、井田病院。

実は夫と暮らしたアパートから、歩いて15分くらいの所にあった病院。散歩道の道中にあるから、場所もどんな建物かも知っている。

井田なら、実家から車で30分弱。ココなら行きやすいし、電車とバスを使っても、大した足代にならない。

ともかく、この日母は連れて行った病院にそのまま緊急入院となり。結核菌の見極めに少し時間がかかって、金曜に結果が出ると言われ、お役御免でわたしは家に戻った。

ショックだったのは、最悪6ヶ月入院となったら、せっかくここまで認知になる事なくこれたのに、ヨイヨイの◯◯老人になって帰って来る可能性がある事。もうそうなったら、とても面倒見きれないだろう。

母はある朝、わたしが起きて来たときには、すでに冷たくなってる…家で大往生するものと勝手に思っていた。

それがこんなにも突然に、基本面会謝絶で、いつ戻れるかも分からなくなるような事が起こるなんて‼️

ここまで介護してきたのがなんだったのか。虚しく、切なくなった。

姉にはこの日役所に行って、自分に必要な手続きしてこい‼️と言ってあったので、夕食時に報告した。

それより夫に母とはいきなりの別れになるかも⁉️の報告をした時は、ボロボロ涙が出た。
まさか母の事で今更こんなに泣ける日が来るとは思っていなかったから。

姉への報告では、涙は出ませんでした。姉も別段驚いた風でもなく、また特に心配するでもなく。

そして、当初は検査結果は明後日、金曜になると言ってたのが、木曜の段階で連絡が来た。結核だったそうだ。ただし、転院先の病院が希望していた井田になったのはありがたかった。

1月の下旬。母は結核で入院。ウチにはわたしにとっての恐怖の大王、アンゴルモアちゃんだけが残されて。

ストレスMAXでした😥






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