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マロンありがとう。また会おうね。

娘との旅行記が途絶えたままになっています。
年末から時間的にも心も余裕がなかったのでした。
旅行記の続きの前に愛犬の事を綴ろうと思います。

1月17日の朝 愛犬が亡くなりました。
メスの柴犬、マロンといいます。
私が起きてくるまで待っていたと思います。
今から思うとおそらく 私がマロンのそばに行った時と同時に亡くなったと思います。
18歳と3ヶ月でした。

息子が小6の時のことです。
ペットショップにいる息子と夫に呼び出されたのでした。
可愛い柴犬がいるから見に来てと。
私は子どもの頃野良犬に追いかけられて怖い思いをしたので犬は苦手だったのでした。
娘や息子にお願いされても
犬を飼うのはずっと反対してきたのです。
が、その時なぜか見るだけならと
ペットショップに足を運んだのでした。
生後3ヶ月の雌の子犬でした。
触るのもおっかなビックリで…
でも顔を見ると可愛いくて
「ちゃんと世話をするから」
「もうひと月して誰にも飼ってもらえなかったらこのペットショップから
どこかにやられると言ってたよ。殺されると可哀想」と言う懇願にとうとう根負けして渋々飼う事を認めました。
よく動く元気な子でした。
家に連れ帰って
毎日眺めてるうちに
撫でる事から始まって抱っこできるまでになりました。
私の指示でお手やお座り、待てもしてくれるようになり愛着が段々わいてきたのでした。
言い出しっぺの息子でしたが中学になるとクラブが忙しくなり
一日二回の散歩や餌やり
動物病院に連れて行くなど
殆どの世話は夫の当番になっていきました。
仕事で夫ができない時などは
補佐的には世話はしてました。
家の中で遊んだりのいいとこどりって感じでした。
なのでマロンにとってのご主人は
夫だったと思います。

大きな病気などはなく
無駄吠えもしないおとなしい犬でしたが、ただ子犬の時に他の犬と接する事が少なかったために
散歩で他の犬に出くわすと警戒して
体が固まり近くに寄って来られると激しく吠えて遊ぶ事はできませんでした。
仕事が残業になり夜帰る時間を夫が知らせて来るので
散歩がてら迎えにいくと
暗くても50メーター以上先にいる夫を 匂い?で感じて走り出して
リードを離さないように私も走る事になりました。
尻尾を振って喜んで夫の足元にくらいついた事がよくあったのを思いだされます。

思い起こせばマロンとの思い出は尽きません。
そんなマロンですが
人間では老齢期にさしかかった頃
4年前ぐらいから
認知症になったようでした。犬の認知症の症状に当てはまる行動が どんどん出てきたのです。
何に対しても無関心で さみしいことに家族に懐いてくることもなくなってしまいました。
散歩の時に必ずしていた
排便排尿も家の中でしてしまう失敗も徐々に増えました。
目は白内障で白く濁り次第に物にぶつかる事が多くなり、とうとう失明状態になったと思います。
耳も殆ど聞こえてなく あんなに怖がってた雷の音も平気になりました。
嗅覚の感覚だけは残ってるようで
それで動いてる感じでした。
後ろ足から弱っていき
とうとうリードでは歩けなくなってしまい、庭を徘徊しそれが散歩代わりとなってしまいました。
2023年の秋、夫が脳出血で倒れ入院した頃から
夜鳴きや遠吠えがはじまりました。
ご主人様が恋しくて鳴いていたのかもしれません。
狼が仲間を呼ぶ様ないままでにない吠え方でした。
すでに息子も娘も独立し家は私ひとり。入院中はもちろん退院後も車椅子になったので
ワンオペでマロンの本格的な介護生活が続きました。
大変だったことは
リビングに置いてるゲージ内で夜中に排便排尿してしまう事。
お昼ならば汚して気がついたら
すぐにペットシーツや敷物を交換できるのですが、夜中にされると
朝までそのままになり
その上を歩き回ってゲージ内の敷物は
まみれて
挙げ句にはその上に寝込んでたりして
悲惨でした。
オムツはかかりつけの獣医さんから
膀胱炎になるので できるだけ
やめるように言われてました。
朝一番の仕事はゲージに敷いているペットシーツやタオルケットの後片付け。
一日に何度も敷物を洗わなくてはいけません。
きれいにしたとたん やらかされる事もしばしばでした。
マロン用の洗濯機がフル回転
洗濯竿にはマロン用タオルケットが
たくさん並んだことでした。
もちろんマロンも糞まみれで体をキレイにしてやらねばなりません。
足も弱ってきて、ヨレヨレなってしまいました。歩いてるうちにバランスを崩して転倒してました。
それなのに庭に出ると暗いところに行きたがって軒下や植え込みなどに入り込み出れずに悲鳴の声で私が慌てて救出する事は度々、
中に入り込まないように物を置いたり柵を置いたり工夫はしても少しの隙間を見つけては入りこむのです。
それでも
タイミングが合えば庭で用を足してくれるので片付けが楽だし
できるだけ外の空気を吸わせたいし、歩く事で筋肉も衰えるのが少しはましになるかしら?
と思ってのことでした。
寒い冬がやって来ると
そう長くは庭にも出してやれなくなりました。
脳の病気も進行したようで
発作のように休みなく激しく吠えることが増えました。
吠える声は何時間でも続くのです。
吠えるのに疲れて眠るまで。
時には狂ったように牙でゲージの格子を噛んで鼻先を押し込んで抜けなくなり悲鳴をあげることも度々でした。
鼻先の毛がこすれ出血してしまうほどの傷になりました。
獣医さんによると脳の発作からだそうで どうしょうもないとのことでした。
ゲージの中をダンボールで囲み鼻を入れられなくしました。
夜鳴きも激しくなり、かまってやると少し落ち着くので
リビングのゲージ横に布団を敷いて寝る事にしました。
なので夜は通してゆっくり眠る事ができない日が続いたのでした。
エサは何とか食べてくれてるのに段々と痩せ細ってきました。
元気なときは10キロあったのに何と
4キロあまりのガリガリ犬に。

とうとう12月の末のある日
自分で起き上がれなくなり支えてやらないと四本足で立てなくなりました。
そうなるとパニックになって四本の足を横たわったままばたつかせて
体を回して吠え悶え、口や足が痙攣してしまいます。
一日に何度もそんな状態。
寝ている時間が長くなったものの
起きるとそんな状態で
苦しそうで見てるのも辛くて
安楽死させてやる方がマロンにとっていいのでは?と思うほどでしたが
落ち着いてる時に
口元にエサを持っていくと
エサは食べるし、何事もなく安らかに眠ってるので
その決断はできませんでした。
年末お正月と行きつけの動物病院が休みになるので最後の日
獣医さんに相談に行きマロンの状態を話して鎮静薬の薬をもらいました。
ただその薬を飲ませると弱ってしまうよと。
でもその薬にたよるしかなかったのです。マロンも私達夫婦ももう限界の状態でした。
薬は効いて飲ませるとしばらくすると落ち着いて寝てくれるのでした。
お医者さんの忠告どおり
マロンは段々弱ってきました。
激しく吠える事も減ってきて、、殆どの時間寝ていました。
薬をあげなくても大丈夫になりました。食欲も段々と低下し水は何とか飲ませても餌は受け付けなくなりました。その日がくるのは近いとは感じていたのに
それがすぐ次の日にやってくるとは
思わなかったというか、根拠もないのにまだ今月いっぱいぐらいは生きてくれるだろうと期待してたのかもしれません。

その日は突然やってきました。
いつものようにアラームで目を覚まして…
マロンの事は頭にあったのですが
眠たくてすぐにはお布団から出れずに
しばらくしてから 「よしマロンを見なきゃ」と重い腰を上げて起きました。
いつものようにマロンの様子を
ゲージ上から見下ろすと
横たわったままでオシッコがちょうど出始めたので
慌ててゲージの中に入って
ペットシーツの中に出るようにシーツを動かして
オシッコが出終わるのを待ってました。結構たくさんの量のオシッコでした。あまり漏れずによかったーと
マロンの顔を見ないでオシッコばかりを見ていたのです。
朝にオシッコをするのはよくある事。
シーツを剥がしてその下のタオルケットも抜き取って
マロンを一旦ゲージから
ゲージ横のマロン用ラグマットに移動させるのに抱き上げました。
すると首の座らない赤ちゃんのようにダラーンとなっていつもと違う感覚でした。
あれ?とは思ったものの
とりあえずマロンの体をラグに寝かせて
お尻周り濡れたところをティッシュで拭き取ってやりましたが
動かない。
えっ?
マロンと何度も声をかけましたが反応がない。
撫でると身体は暖かい。
死んでないよね?と…
いつもは静かに寝ていても よく見るとお腹がピクピク動くのに
何の動きもない。
息も止まってるようでした。
その時マロンがおそらく亡くなったのだと直感しました。
慌てて横の和室で寝ている夫を起こして見てもらいました。
夫もマロンの姿を見て亡くなったのを確認しました。
目や口が開いてたので
夫が閉じさせて。
あんなに吠えていたのに
最期は吠えもせずに苦しむところを見せずに
すーっと静かに眠るように逝きました。
二人でマロンを撫でてあげて
声をかけてやりました。
だんだんとあたたかさがなくなってきました。
涙が込み上げてきました。
健気に私が起きるまで待っててくれたと思います。
逝く前の時間もっと早く起きて寄り添ってやればと
今でも悔やまれて泣けてきます。

そして その日は仕事だったのでゆっくりとマロンのそばで悲しんではいられませんでした。

その時がやってきた時のために
看取り方を調べていたとおりに
マロンの体をきれいに拭いてやり
布でくるみ ダンボールに入れて
夫と一緒に保冷剤やらでお腹周りを冷やし、
コンビニに走ってロック氷を数袋買ってきて体のまわりに置いて冷やしてやりました。
息子に連絡してバタバタと仕事へ。

マロンが亡くなったら
奈良にある
夫のご先祖からのお墓の霊園に隣接する動物霊園でお願いすることに決めてました。
私が仕事から帰った後
夕方にでもと思っていたのですが
息子も最期見送りたいという事でした。
その日息子は仕事を抜ける事ができず
翌日の夕方遅くにお願いしました。
今から思うとすぐに荼毘にせずに
一晩家で一緒に過ごして
時々顔を見て撫でてやれたので
よかったと思います。


こうして翌日息子の運転で夫、私と三人で霊園へと向かいました。
母からはマロンの棺おけにお花を供えてあげてと頼まれて…同じ時間に家で祈ってあげたいと。
娘も土曜日ということで仕事は休みでしたので
東京からラインビデオ通話にして
お葬式に参列してくれました。
殆ど世話をしなかった娘なのに、
フルートを吹くといつもそばに行き足元で伏せて聞いてたり
長らく帰京しなくても
ちゃんと覚えていて娘に懐いてばかり。ちっとも世話してないのに
何で?とこっちがヤキモチやくほどでした。
ちゃんと家族というのがわかっていて賢い子でした。

籠の中に入ったマロンは
色んなお花に囲まれて
まるでお花畑で眠ってるかのようでした。
穏やかで柔らかい寝顔でした。
苦しみから解けて楽になったのでしょう。
耳元に赤いカーネーションを飾ってあげて可愛らしいマロンでした。
その姿を目の中に焼き付け
最後に籠の上に綺麗なレースの布をかけて
家族皆で最期お見送りしました。


荼毘の後は
マロンのお骨を係の方が
体通り丁寧に並べてくださってどこの骨か説明もらいました。
歳の割にはあまり崩れずに骨が残ってその骨もきれいとの事でした。
お骨を箸で拾って三人で骨壷に入れてあげました。
お昼ならば すぐに合同の霊園塔にお骨を納めるのですが
もうすでに日が落ちて暗闇なので
一旦骨壷を持ち帰って
後日納骨することにしました。
春のお彼岸かなと思います。

小さな骨壷に納まったマロンを抱いて
途中食事のお店にも息子の上着をかけて一緒のテーブルで…
マロンの思い出話をいろいろしなが偲んだ事でした。

気持ちの整理のためにも
マロンがいたゲージやら使っていたものを片付けました。
するとそこは何だかひっそりとして
また余計にさみしさがジワジワと
襲ってくる感じです。

徘徊にひどい夜鳴き、ゲージで排便排尿
介護にほとほと疲れて「いい加減にして!」など声を荒げてしまった事もありました。
マロンも苦しくても一生懸命生きようしていたのに可哀想な事をしました。
でも いなくなると
そこに居て寝てくれてるだけで癒されてたと今になって気がつき
自分の未熟さを思い知りました。
ふかふかした毛並みやザラザラした、足の肉球を撫でる事ももうできないのです。
そう思うとマロンの感触が懐かしくて愛おしくて。
部屋の隅にマロンの毛をみつけてもジーンときてしまいます。

18歳と3ヶ月よく頑張ってくれてありがとう。
逝く前に私を待っててくれてありがとう。心から思います。

今頃はもう、苦しむ事もなく
目も見えて耳も聞こえて
虹の橋のもとでは
他のワンコと仲良くなって
元気に走りまわってると そう願います。
お花畑 またいつかお母さんと歩こうね。

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