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52.“いま”という、絶え間なく降り注ぐ贈り物

この夏、こどもおぢばがえりを終えて帰ってきた少年ひのきしん隊。時を置かず、彼等のアフターフォロー研修が一泊二日で催され、私も研修会のサブスタッフとして教務支庁事務所に詰めていました。

少年会の団長さんや他の主要スタッフさん達との何気ない雑談の中で、面白い気づきが生まれます。

それは研修会の締めくくりの際、団長さんから中学生の隊員等に一体どんなことを話そうかという相談から始まりました。


これから成長していく彼等の“先の楽しみ”という一面を眺めつつも、その一方でやっぱり“いま、この瞬間を大切にする”ということも忘れることなくちゃんと見つめて考えていきたいですよね(・ω・)

と無責任な思いつきで口走るピーナッツ。

“いまを生きる”

大切なことだと思っている私の言葉に、ふと思い出す団長さん。

「いまと言えばそーそー、“いま”を英語で表現すると、二通りの言葉があるんですよ。その話をこども達に話して聞かせましょう」


それから閉会の挨拶で、予告通り団長さんは話しておられました。
以下、要約です。

“いま”を英語で表現すると“now”。
それからもうひとつ、“present tense”とも表現される。
それは現在の状態や動作を表現する時に用いられる語句で、
現在という瞬間にpresent(プレゼント)という言葉をあてられていることに、味わい深い意味が含まれているとも捉えられる。
つまり現在とは、誰かによってプレゼントされた時間なので、
そこに気づきを持って“いまを大切にして生きましょう”。


…おおよそそんなお話をされていました。
これを後ろに座って拝聴していた私は、いても立ってもいられず、研修会解散後に団長さんと“present tense”という表現に込められた意味について意味を一層深め合う練り合いを重ねました。


tenseって、どういう意味なんですか?

団長さん「“緊張”とか“張り詰めた”という風に訳せますね。」

おぉ…(・ω・)💦

私はそれを、“とめどなく”とか“絶え間なく”といったニュアンスで捉えてみました。すると、プレゼントという言葉に結び付け、言葉の奥にある意味を改めてこう悟り取っていきます。

とめどなく降り注ぎ、絶え間なく連続して贈り物を与えられ続けている状態、この片時も切れ目のない瞬間・瞬間を“いま”と呼ぶんだ。

…と。

自分で言葉にしつつ、込み上げてくる感動で興奮するピーナッツ。


“いまを生きる”という。
“いまこの瞬間を大切に”という。
それは具体的にどういうことなのかというと、
絶えず贈り物を受け取り続け、切れ目なく与えられ続けていると実感すること。そうやって心が躍動していること。

私達は誰もが皆、この瞬間もその次の瞬間も、ずっとずっと、祝福され満たされ続けている。その恩恵を肌身で、心で感知し、しっかり味わうことが即ち“いまを生きる”ことに直結するんだ。


少年会の研修会を通してまたひとつ感じることの出来た、“生きる”ということの実相。“生かされている”ということへの本質の一端。

知ることのできた喜び。
感じることのできた豊かさ。

両手を広げても受け取り切れないだけの素敵な贈り物を山ほど大量に届けられながら、いまをこうして生きているんだとイメージを膨らませながら、こども達の行事でもらった思わぬお土産に、ピーナッツの心はいつまでもずっとほくほくしていました。


【2024.8.13】



おまけ

今回の記事の内容に関連づくような過去の短い随想を併せて書こうと思います。

降り注ぐ御守護の雨

“御守護をいただく”だとか“いただけない”だとか、そんな風に言う人がいます。私はそれを、おかしな考え方だなと感じていました。

天理教の神様は、信じる人にだけ御守護を与えるようなせこい神様ではありません。頑張った人にたくさん御守護を与えるような成果主義の神様でもありません。
信じていない人でも、あんまり頑張れない人でも、天理教を嫌ったり、悪く言う人でも、生きとし生ける者全てに、24時間365日片時も休むことなく、頭から雨を降らすがごとく平等に御守護を注いで下さっています。

そこに千差万別の違いが生まれるのは、受け取る人々個々の器の大きさがどれもまるっきり異なるからです。

同じだけ降り注いでも、大きな器の人には多く、小さな器の人には少しだけ、それぞれ器通りにしか受け取ることができません。

この器の大小を決定づけるのが、銘々のなのです。

どうすればこの器を大きく広げていくことができるのでしょうか?

私は「自分以外の誰かの為に喜びながら一生懸命損をする」行為を積み重ねていくことだと思っているのですが、これが言うに易く、行うに難しいことなのです。

【2015・12】


世界的に有名な香港の映画スター、ジャッキー・チェンは莫大な資産家なのですが、ある時彼は、お金で買える欲しいものはもう何もなくなったと感じた瞬間がありました。

そこで、中国の様々な僻地の貧しい子ども達が十分に教育を受けられるようにと、私財を投じてバンバン学校を建てていったんだそうです。

人のためになる方法で財産を消費していこうと試みた慈善活動だったのですが、どうしたものか、費やせば費やすほど、また違う方からお金がやってきて、彼の財産はどんどん膨れ上がっていったんだとか。

これは、あるテレビ番組に出演していたジャッキー本人が語っていたエピソードです。

多くの人の喜びを願って財産を運用すると、お金に好かれ、より多くの富が集まってくるのでしょうか。

他人のためにしたことは、必ず我が身に返ってくる。

その時、損は損のままでは決していられないようです。


ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた(^O^)

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