見出し画像

59.貧と信(2)-貧に学び、貧から受け取る-

信仰していく上で味わう貧の問題についてもう少し考えてみたいと思う。

前回未読の方はこちらを先ずお読み下さい↓


貧に学ぶ(1)

若い頃、幼い子を連れてご夫婦で布教に歩いたある教会長夫人さんのこんな手記がある。


「あの日の苦労」
大教会様より「毎日、にをいがけに出るように」とのお言葉を頂き、青年勤めの頃から親子共々毎日歩かせて頂きました。
ところが、なかなか成果はなく、家計は 火の車でした。わが教会は雨漏りが激しく、建物は傾き、ついに梁が折れた時には、心も折れてしまいました。私達夫婦の部屋には窓はなく、日中でも真っ暗。当時は心も真っ暗闇でした。
もちろん子供達に小遣いも与えてやれません。友達が自転車で行く後ろから自力で走って追いかける姿が健気でした。
そんな道中を共に通った子供達、今では 「あの時の苦労のおかげで何でも喜べる」と話してくれます。そんな我が子に感謝です。
いつか三代真柱様は、次のようにお話しくださいました。

「豊かな社会に住む私達は、物の大切さを、どんな困難に出合っても挫けない勇気を、辛抱や堪忍から喜びを見出す努力を身につける事を忘れぬよう通りたい」

私の宝として胸に刻んでいるお言葉です。


彼女にとって、そこには辛いこともたくさんあったかもしれない。
それでも、夫婦親子で経済苦と共に布教おたすけに歩いた時間から学んだことも少なくはなかったのだろう。


貧に学ぶ(2)

次に、私の知人で、現在も単独布教の道中を歩まれているSさん(60代)の手記に触れてみたい。彼は30代に入ったばかりの頃に一年発起し、野宿道具一式を持ち自転車を走らせ単独布教に出た。


「親の恩」
単独布教始まってからは昼間はにをいがけ、暗くなると山中に入り食うや食わずやの野宿の日々が続きました。

ほどなくある事件が起きました。
ちょうどその頃、隣接する県で殺人事件が起こり、犯人が山に逃げたので警察による山狩りが行われていました。そんな中だったので、野宿する私を目 撃した付近住民が不審に思い、通報を受けた警察が駆けつけてきました。 「あんたは誰だ。どうしてこんなところで野宿している」と警官に尋ねられ、「私は天理教の布教師です。毎日人を救けるため歩いていますが、住む家がないのでここで寝泊まりしています」「それなら、あなたの言い分が本当か、 何か証明するものを見せて下さい」と言われました。ふと、その時頭に浮かんだのが、出発の折、上級教会長様に作っていただいた身分証明書でした。 リュックから取り出してそれを見せると警官も態度を和らげ「それなら大丈夫だ。ただ、危険な人もいて物騒ですので充分気をつけて下さい」と言って帰っていきました。その後も二度ほど通報され、警察官が尋ねて来ました。付近住民に警戒されていると聞かされ、それから毎日山中2キロ以内を転々と寝床を移動させながら野宿を続けました。
やがて、郊外のとある物置小屋を借り、一時の住処としましたが、その後お声をいただき、布教地県内の布教の家〇〇寮に入寮することとなり、 その地で一年間布教させていただきました。当てのない野宿の日々を思えば、仲間に囲まれ食物寝床の心配のない寮生活は、むしろ楽しい布教生活でした。

色々学ばせていただき、卒寮後はまた最初の布教地に戻って単独布教を再開しました。

単独布教開始から7年目を迎えた頃、 なかなか思うように芽が出ず、いつしか当初の志に翳りが見え始めていまし た。
"もうだめだなぁ⋯終わりかなぁ" そんな思いがよぎりました。
その時の私は心身共にどん底でした。 所属教会の月次祭に戻った時に、
たまたまご巡教下さっていた大教会長様から 「ちょっと○○に用事があって、場所がよくわからないので道案内してほしい。 布教所に帰る時、私と一緒に行こう」と 声をかけられました。
それで大教会長様の車を運転させていただきながら、私の布教所まで足を運んでいただきご参拝下さると、「Sさん、無理しないでゆっくりでいいから」と労いの言葉とともに食べ物・ お菓子山ほど買って下さり、お一人で 車を運転し片道数時間の途を大教会に戻って行かれました。疲弊した私を見 て危ないと思われた大教会長様は、わざわざ私の布教所まで多忙を厭わず赴いて下さり、落ち込む私を励まして下さいました。
その時ばかりは本当にありがたかった。涙があふれた。
これこそ親だ‼
頑張らないといけない‼
そんな心になり、消える寸前だった布教の火が再び大きな炎となって甦ってきました。その炎は今現在も少しも衰えることなく激しく私の胸に灯っています。
こうして単独布教に出させて頂いていますが、親の恩のありがたさをしみじみと感じています。


Sさんは布教開始から35年以上経った今も、初期となんら変わることなく日々にをいがけに歩いている。布教おたすけのみでの生活で、今もって経済苦の渦中を歩いているが、会う度に、そんな悲壮感は微塵も感じさせない様子を私に見せてくれる。苦しかったどん底の時、直属大教会長さんからの心がけを受け、Sさんは本当に嬉しかっただろうし、勇んだじゃないだろうか。そこから味わい学んだことは通っている者にしかわからないものだろう。


貧から受け取る

経済苦を経験することで養われる心の感動があることがわかった上で、次に貧しさを経験することで研ぎ澄まされる感覚があるという教話に触れてみたい。

「間脳は感応を生む」
脳生理学によりますと、(間脳は) 脳幹の一部であり、視床上部、視床、視床下部、視床腹部、視床後部に区分されます。このうち最近の研究では、視床下部は、大脳辺秘系の活動を支える中心的存在であると同時に、新皮質の活動に対しても影響を及ぼしていることが証明されています。(時実利彦「脳の話」)
むずかしい学問上のことは別にして、私は、人間の霊性の発源体は間脳ではないかと想定しております。大脳は知識の発源体ですが、これが万物の霊長に必ずしもつながらないことは既に申し上げました。知識とはインテリジェンスであって、論理的整合性や量が問題になります。しかし人間には別種の知識能力が備わっていて、それがインテレクト、即ち直観とか悟りと言われるものです。これを開発する能力を持っているのが間脳ではないかと思っています。ある人はそれを間脳思考と呼んでいます。大脳が際限もなく外へ発展してゆくのに対し、間脳はそ れをコントロールする、おさえる、つつしむという逆の働きをするとも言えます。
過去数千年の文明の歩みは、大脳思考全盛の歴史でした。至る所で勝利の声があがり知識は神の座に迫まろうとする勢いを示しています。その勢いがあまりに盛んなため、間脳の働きがつつみ隠され、衰弱しているのです。盲腸でも大歯でも、使われないものは退化するのと同じです。
間脳は感応であり、神様との対話であります。感応は楽な生活をし、欲望のままに生きていては生まれてきません。欲望をひかえ、むしろ貧しさの中で身を磨くことの中に霊性が削ぎ澄まされるのです。釈迦は山林で苦行されたのも、イエスが荒野で四十日間の難行のも、さらには天理教の教祖が、道の初めに当たり貧のどん底に落ち切られを送られたたのも、やはり深い理由があると思います。偉大な宗教家は皆その道を通っています。

藤田雄士「おたすけ読本 身上篇」より


「貧しい生活、苦行のような日々によって、神様と対話することのできる霊性が磨かれていく」と藤田氏は語っている。宗教を生業、霊的な直感を拠り所に生きるおたすけ者にとって、霊性の研ぎ澄ましは避けることのできない重要な自己研鑽だが、それは衣食住の満たされた状況では開発し得ない領域なのだということなのだろう。

そう思うと、天理教の宗教者は、他の伝統宗教に比べて圧倒的に経済力のない教会ばかりだけれど、それ自体意味が大きく、そうやっておつとめ・おさづけの霊力を高める環境が自然に整備されているということなのかもしれない。


最後に、今回の記事内容の貧・お金の問題と関連深い教話を引用して終わりたい。

「たすけ一条の種」
立派な建物を建てるのには先ず、 立派な土台の完成が必要であるのは当然であります。土台のない建物は崩れてしまいます。
これをたすけ一条でも同じです。 おたすけがあがって活発に行われるのは、その伏せ込み、勤めが大切である事を忘れてはなりません。
おたすけを建物とすれば、土台はひのきしんであり、つくしであり、 親孝心に当たるのであります。先ず教会長は土台づくりを真剣に努力し てこそ、おたすけの花が咲き誇るのであります。おたすけが上がった時こそ、その中からおやさとふしんも 完成されるのであります。
このみちは、たすけ一条の中から、 物も金も人もすべて生み出されるという事を忘れてはなりません。

岩井孝一郎編「真実に生きる姿」より


【2015.3】



ここまでおつき合いいただきありがとうございました!
それではまた(^^)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?