93.“無関心”という名の暴力
子供達が寝静まった夜に、晩酌をしながら気になって録画しておいたドキュメンタリー番組を観る。
刑務所から出所した元受刑者Fと、その身元を引き受け、まる抱えで彼を救おうとする牧師との、互いに向き合っていく日々が題材とされていた。
牧師は界隈では名の知れた方だった。
日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会、通称「軒の教会」。
NPО法人「抱樸」を立ち上げ路上生活者の保護・支援活動と更生に積極的に取り組んでおり、以前から多くのメディアで取り上げられ、注目を浴びている。
牧師の名は、奥田知志。
知っている方も少なくないだろう。
※ちなみに奥田氏は、先の特定秘密保護法成立をめぐって国会周辺でデモを扇動していた学生の徒党・SEALDsの創設者・奥田愛基の父親でもある。
Fはこれまで11度にわたって服役・出所・再犯出戻りを繰り返しており、88年の生涯の中で、実に大半とも言える50年を塀の中で過ごしてきた。
彼がそういった負のサイクルから抜け出せなかった最大の要因は、出所後の身元の引き受け人がいなかったことだった。
10度目の服役を終え、出所して間もない平成18年(2006年)1月、身寄りもなく、行政からも生活保護申請を(住所不定であるという理由で)門前払いされ、何のアテもないFは生活に窮し、八方塞がりの末、下関駅を放火。全焼へと至らしめる。
犯行の動機は「寒くて、刑務所に戻りたくなった」だった。
そうして彼は、再び自ら望んで懲役刑に服すこととなる。
現在、Fは奥田牧師のもとに向かい入れられ、犯した罪と向き合いながら更生への日々を歩んでいる。
奥田牧師の取り組み姿勢は体当たりの救済だと感じていたし、宗教者らしさを滲ませた、さわやかな感動がそこにはあった。
評価され、注目を浴びている反面、治安の悪化を懸念する地域住民からの不評を買っているとのことで、反発や批判も絶えないようだ。そのあたりがむしろかえってリアルで、何かに向けて言行一致の具体的なはたらきかけは、必ずしも誰にとってもよい活動ともいうことではなく、賛否両論の渦の中で貫いている信念をそこに垣間見ている気がする。
とはいえ、そういった自分達の穏やかな生活の確保を優先し、社会が生み出す闇、Fさんのような人々を自分達の視界から遠ざけ、見えないように排斥する、そんな他者に対する冷ややかな無関心こそが、彼をはじめ、多くのFさんのような人達を生み出していっているように私は感じた。
無関心こそ、性質の悪い暴力だ。
…なんて、酒でふらふら酩酊しながら、ひとり憤っていた。
テレビやネット、メディアの向こうに噴出する悪意を睨みつけながら、その実、身の危険の及ばないこちら側の安穏に浸り、深い関心を装い騙った偽善者が、ここにもひとりいる。
【2017.2】
おまけ
奥田知志さんは、大分以前から関心があり、ひとりで着目していた人物でした。彼の言動には普遍性があり、おかしなことを言っているとか、変な思想性を感じるということは思ったことがなく、現代を生きる救済に着手する宗教者の代表的なひとりだと思っています。
このコラム書いていた2017年当時、少なくとも私が知る限りにおいて奥田氏を取り上げ言及する教内機関誌は見当たらなかったようにも思います。何せ、他宗教の牧師ですからね。
ところがこれから後、数年後のコロナ以降、時の青年会が、青年会長さんが、奥田氏に接近していきます。あらきとうりょう誌に登場し、現在YouTubeで奥田氏と青年会長さんが対談している様子も視聴することができます。
我ながら、ここでも先見ありか( ̄ー ̄)ニヤリ
天理教青年会に先行していますなぁ、在野の無名人・ピーナッツ✨
と個人的にほくそ笑んでいます。
過去記事を投稿していると、こういうところで自分が辿って来たことの先見性や普遍値みたいなものがおさらいできて、いい気づきになりますね。
ここまで読んでいただきありがとうございました‼
それではまた(^^)