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10年前にしていただいた優しさ、いつまでも。
私は、15年前、都内で、学校の事務職として働いていた。
私の仕事は、主に、生徒の学費管理とPTA担当だった。
その他には、会計担当・給与担当などがあった。
給与担当の40代の女性は、お局的存在で、給与振り込み日になると、自分の業務が終わっても帰ってはいけない雰囲気で、その給料の振込申請が終わる10分前には、「今、何時何分です」と、時刻を知らせなければならなかった。
また、昼休憩も外に出る事は許されず、弁当を持ってきて、いつでも電話出られるようにスタンバイしていなければならなかった。
そんな彼女が、一番不機嫌になる瞬間があった。
それは、誰かが妊娠して産前産後休暇に入ったり、子どもを産んで、育休や時短を申請するときだった。
責任感が強い方だったので、その分、きちんとしなければ…と思われていたのかもしれないし、日常の業務と異なる負担が増えることなども理由があったのかもしれない。
ただ、その様子を近くで見ていた私は、この職場では、子どもを授かってはいけない。
もしも、授かったならば、辞める選択をした方が良いとまで思っていた。
しかし、結局、この職場では、子どもを授かる事はなかったし、その前に、夫の転勤で、5年間勤めた学校を退職して、大阪に行かなければならなくなった。
最初の3ヵ月は、失業保険を利用して、自宅に行ったり、ハローワークに通ったりしていた。
家にいる事も多く、社会とのかかわりもなくなり、見知らぬ土地で、なんだか不安になった。
そのため、何か仕事をして、お金を稼いでいた方がいいと思い始めた。
ただ、また、夫の転勤もあるかもしれないと思い、正社員として働くことは避け、短期でも働けて、お仕事も紹介してもらえる派遣会社への登録を済ませることにした。
最初の仕事は、営業事務を6ヶ月。
契約期間があと、数日となった時、正社員の1名が辞めてしまうこともあり、「新入社員の教育として、そのまま継続して働いてほしい」と言われたが、派遣という立場は変わらず、新入社員の正社員となると負担も大きく、難しいと思い、「ありがたいお言葉ではありますが・・・」と、辞退を申し出た。
続いて、政府系の事務作業、誰のためにやっているのか考えられず、1週間でやめた。
それからも、何度か派遣会社から仕事の連絡をもらった。
しかし、自分の働きたいと思う会社がなく、断っていた。
そしたら、派遣会社の方から言われた。
「そんなに悩みます?」
その瞬間、内心「あ、私は、モノなんだ」と悲しくなった。
心の中で、「1日の大半を過ごす場所で、自分が愛着が持てる会社で働きたいと思っているので」と。
言葉では「はい。」とだけ答えて、電話を切った。
その時から、私は、派遣会社からの紹介で働く仕事ではなく、自分自身を見てもらえるのを最優先にして、仕事を探すことに切り替えた。
駅に置いてあった、無料の求人広告を家に持ち帰り、早速、見てみると、自宅から30分以内で、「事務職」の仕事を見つけた。
さっそく、電話をして、履歴書を書いて、面接に行った。
面接して翌日のことだった。
電話がかかってきた。
だが、出先だったので、出られず折り返しすると、
「あ、先日、面接に来ていただいたしぃーぺさんですよね?今、大丈夫ですか?電話代かかってしまうので、担当から、すぐに折り返しますね。少々お待ちくださいね。」
そして、その後すぐ、私の携帯が振動した。
私は、この時点では、もし、受かっていても断ることを考えていた。
・・・というのも、私は暑さが苦手で、その会社では、経費削減のため、冷房温度を控えめにしており、面接当日も、私は一人、大汗をかいており、仕事に集中できないと考えたからだった。
そんな気持ちで、電話に出た。
「もしもし、この間、来てくださった方ですよね?顔、すごく覚えています!そして、しぃーぺさんがよろしければ、来ていただけないでしょうか?」とのことだった。
先ほどとは、異なる担当者。
お二人とも、私の事を覚えてくれていた。
そのことに感動してしまった。
ほんの数分の面接だけで、覚えてくれているなんて。
しかも、転勤族で、いつ辞めてしまうかもわからない私を受け入れてもらえるなんて!と嬉しくなった。
結局、環境より「人」だと思った。
それでも、「はい!」と即答できずにいた。
それは、占いだった。
普段、あまり占いは見ないし、信じない方なのだが…不安が募ったり、自分の人生に迷いがある時は、なぜか頼りにしてしまう性格だった。
そして、私が見た占いでは、「7月下旬に良い出会いがある」と書いてあった。
しかし、ここでの仕事開始は、「8月~」とのことだった。
すると、電話越しから、再度、声が聞こえた。
「みんなと話して、もし、しぃーぺさんがよろしければ、7/28~であれば、雰囲気がつかめていいのでは?と話していたのですが、いかがでしょうか?」
つまり、開始は、「7月下旬!もう、これは!」と思ってしまった。
その瞬間私は、「はい!よろしくお願いいたします!」と言って、パン屋の事務局で働くことを決めた。
そしたら、向こうから、「本当にいいんですか?私たちの会社に来ていただけるんですか?」と驚いた様子だった。
内心、なんで、こんなこと言ってくれるのだろう?と不思議に思っていたが、事務手続きをする為に、その会社に行った時、私の上司となるK課長(男性)と会って、その理由がわかった。
面接に来られた方の中から、事務局メンバー全員一致で、私を選んでくれたとのことだった。
「ただ、来ていただけるか、とても不安に思っていたんですよ」
と、とにかく、低姿勢だった。
私は、こうして入った会社なのに・・・
1年も経たずして、妊娠してしまった。(してしまった…せっかく、雇ってもらった会社なのに…という気持ちで、この表現)
私は、「話があります」と言って、K課長に時間を設けてもらった。
「すみません。妊娠してしまいまして…」
「そうなんですね!なんか、そんな気がしたんです。言えなかったですけど…(笑)おめでとうございます!」
「あ、ありがとうございます。」
そして、少し間が開いて・・・
「で?」
とおっしゃったので、
「あの、なので、せっかく採用して頂いたのですが、あまりお役に立てず、すみません。」と。
すると、K課長が
「えっ!?辞めちゃうんですか?」
「えっ!?辞めなくていいんですか?」と、私。
微妙にかみ合わない会話の1往復。
というのも、妊娠した段階で、私には、もう、辞めるしかないと思っていたのだ。
ただでさえ、転勤族で、いつまで働けるかわからない私を雇っていただいたのに、更に妊娠してしまっては、絶対に不在期間ができてしまうし、一契約社員の為に、代替の人を準備するくらいなら、私を解雇して、新しく長く働いてくれる方にした方がいいに決まっていると思っていた。
それなのに、K課長は、全くもってそんな考えを持っておらず、
「もし、しぃーぺさんがよろしければ、契約社員さんでも使用できる会社の権利を使っていただいて、産前産後・育児休暇を使ってください。」と。
「え!?いいんですか?」
「えっ!?そんなに驚きますか?だって、妊娠されたんですよね。おめでとうございます。続けて頂けるんですよね?それとも、辞めたかったですか?」とまで、言ってくださったのだ。
その後も、体調の心配もして下さり、「初めてのお子さんですもんね。赤ちゃんを産む準備は、想像以上に大変なようなので、体大事にしてくださいね。」とまで声をかけてくれたのだった。
ちなみに、この頃は、まだ、2ヶ月目に突入したばかりで、体調に波はあったが、仕事に支障をきたすほどではない範囲だった。
そのため「はい!可能な限り、出勤して、お休みに入る前に、マニュアルとかも作っておきます!」と返事した。
しかし、この直後だった。
会社に告げて、安心したのか、産後3日まで続く吐き通しのつわりが始まってしまったのであった。
これは、私自身も予想していなかった。
電話で話すのも吐き気を催してしまい、ギリギリだった。
3日に1回程度で、「体調不良で、本日は、お休みします。」と言わなくてはならない程に体調が悪くなった。
すると、K課長が提案してくれた。
「電話するのも大変ですよね。もし、しぃーぺさんが、よろしければ、無期限でお休みしていただいて、もし、体調が整ったら、復帰するという形にしましょうか。」と。
急に休んでしまったり、早帰りさせていただいたりしていた日もあったのに、こんなにも優しい言葉をかけてくれることに涙が出た。
だが、正直、この頃は、胃痛もひどく、食べられるものはほとんどなく、水さえも受け付けなくなっていた。
そのため、一旦、お言葉に甘える事にした。
数週間して、やはり、これでは、ご迷惑だと思い、現状報告と今後のことについて、連絡することにした。
「現状、少しずつ改善傾向に向かっておりますが、体力回復に少々お時間がかかりそうです。
今は、課長を含め、事務局の皆様のご協力を得て、無期限のお休みを頂いておりますが、このまま、期限なくお休みいただくことは皆様のご迷惑になります。
今の状況から考えますと、2週間後には、一般的に安定期と言われる週数に突入いたしますので、その日から、また、皆様と働かせていただければと思っております。勝手なことばかり申し上げて申し訳ございません。上記のような形で、また、働かせていただくことは可能でしょうか?」
「期限については了解いたしました。しぃーぺさんが戻ってくるまで、既存メンバーで頑張りますね。安定期に入るまでもう少しの辛抱です!頑張ってください」
そうして、安定期に入った日から、職場復帰をした。
久しぶりに会社に行くと、会社の皆さん(他部署も含む)が温かく迎えてくれた。
「久しぶりだね~」
「お、これで、事務局揃ったね~」
「いや~、本当に良かった。最悪な事考えちゃったよ」
「元気そうな顔見て、安心した。」
こんな風に声をかけてもらえる職場であり、そのような雰囲気にしてくださった事務局の皆さんに感謝しかなかった。
その後、私の休みに入るまでのスケジュールを決め、
「安心して、いつでもお休みいただけるように、しぃーペさんのいない間の方を探しておきますね。」と言ってくれた。
そして、後任の方も決まり、引継ぎが始まった。
ただ、その方は、PCがあまり得意ではなかった。
そのため、その人でも簡単にできるよう、まず、エクセルをボタン一つで、数式が出るようにしてあること、そのシステムの直し方などを説明し、その後、そのマニュアルを作成し、もし困ったら、こちらを見てくださいと話した。
とても、まじめな子で、若さもあったのか、その子は、どんどん吸収してくれた。
そのおかげで、順調に引き継ぎは、進み、終わりを迎え、お休みに入る事が出来た。
そして、私は、安心して、第一子を出産する事ができた。
K課長に報告すると、自分のことのように喜んでくれ、
「落ち着いたら、お子さんと遊びに来てくださいね」と声をかけてもらった。
産後、数ヵ月して、子連れで、会社を訪れ、娘を抱っこしてもらった。
普段、夫でも泣いてしまうほど、男性は特に苦手な娘だったのだが、K課長の時だけは、数分程、抱っこされていても安心した顔をしていた。
だが、その日、私は、一つの決断をして、会社に行った。
それは、私は、出産する前は、絶対に育児ノイローゼになると思ったので、仕事は続けながら育児をするんだろうと思っていた。
しかし、実際に育児をしてみると、子どもが可愛くて、ずっと側にいたいと思ってしまったのである。
凄く悩んだ結果、子育てに専念することを決断し、その旨をK課長に伝えた。
すると、また、その決断を
「そうですか。とても残念ですが、今しかないこの時期を楽しんでください。しぃーぺさんが考えて決められたことですから、仕方ないですね。きちんと話してくださってありがとうございました。子育て楽しんでくださいね」と、応援してくれた。
そうして、会社を退職してから、半年後、夫の転勤が決まり、東京の戻る事となった。
東京に戻った後も、私の誕生日や関東で自然災害があると、K課長は、その都度、連絡をくれた。
この出来事があってから、今年で10年が経つ。
しかし、今でも、この時の記憶を鮮明に思い出せるほどに、K課長がして下さった優しさは胸に刻まれている。
おそらく、その一番の理由は、一契約社員であった私を立場など関係なく、尊重してくれ、私が考えて出した決断を、正直に伝えることで、心から理解し、応援してもらえたからだと思う。
2023年、私の誕生日の翌日、K課長は、逝去された。
それを知ったのは、亡くなられてから、しばらくしてだった。
しかし、K課長にしていただいた優しさと感謝の想いをご家族の方にお伝えいたしたく、1周忌に電報を送った。
すると、奥様から、「夫が大事にしていたものです。」と言って、車の模型を頂いた。
その模型は、リビングの飾り棚に飾ってある。
「K課長にして頂いた、たくさんの優しさをいつまでも忘れません。」
本日も最後まで読んでくださって誠にありがとうございました。