怒りの行き場
「怒り」の感情はコントロールし、手放すべきものだと仏教では語られています。
何故「怒り」を増幅させるべきではないのか?
とてつもないエネルギーだからです。
「怒り」は物凄い強烈なエネルギーです。寝てても何をしてても、どこかでその「怒り」というエネルギーは自分の中にずっとあるものです。あまりに強烈な破壊力のエネルギーであるが故に、自分自身の中に留めておいた時に、自分を蝕んでいきます。
怒りとは
行き場のないエネルギー
どこに行っても忘れられないエネルギー
心や頭に張り付いて拭えないエネルギー
これが「怒り」です。
このエネルギーをずっと保持し続けていると、結果的に、自分の体が常に興奮状態になって
手に汗をかいたり、思い出して歯ぎしりをしたり、体にグッと力が入ったり、顔が歪んでしまったり、言葉が荒くなったり、心臓がドキドキしたり
体に対する反応はもちろん、毎日の生活をする上で色々なことを考えなければならないのに、自分の心が必要とするエネルギーの大半を怒りによって占めてしまうことになります。
仏教が怒りを手放しなさいという理由
『自分自身を傷つけてしまうから』です。
カーーっとなった時の瞬間的な怒りに任せての報復はろくな事になりません。
1晩2晩1週間経っても忘れられない…というような、自分の中にかつてないほど、自分の不利益を被ってでもそこまでしても許せいない怒りがあるのであれば、消そうと思っても消えないですよね。それだけ強烈なエネルギーが生まれたのであれば、その強烈なエネルギーを持って勝てる戦をしましょう。
勝てる戦とはなにか?
『1人の成熟した大人として社会人として力をつける』ことです。
何に対して怒ってますか?
何に対して戦いを挑もうとしてますか?
会社の特定の上司ですか?
愚かな戦
戦うと決めたのであれば、自分が戦う相手をしっかり見定めなければいけません。
会社であっても個人であっても、理不尽な態度や言動不利益の被る行為を行っている人達は何かしらの不利益を被っているはずです。そのような人達に会社に特定の相手に、あなたのエネルギーを使ってあげるほど勿体ないことは無いです。戦として非常に愚かな戦であると私は思います。
世の中には理不尽なことで溢れています。
あなたが勇気を持って多くの人たちの利益のために声を上げたいと思うのであれば、然るべきタイミングと力があると思います。
「畜生!バーンッ」と殴ってスカッとしたところで、
せっかくそれほど強烈なエネルギーを持ったのに、自分の中に湧いたのに、違った勿体ない形かなと私は思います。
まとめ
「怒り」というエネルギーをどう使うのか?自分のなりにもう一度吟味し、どのような形で自分の将来に繋げていくのか?
「怒り」は自分の肉体も精神も蝕んでいくだけの強力なエネルギーを秘めています。
さてそのエネルギーをどう使うのか?どう行かすのか?次の職場でどのように転換して行くのか?
勝てるか分からない戦のために「怒り」という強烈な貴重なエネルギーを使うのは勿体ないです。より良いあなたの未来のために繋げて行けたらそれほど素晴らしいものはありません🙏
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