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目標を決めない理由

おはようございます。

朝の散歩中に思ったことを書こうと思います。


私は極度の飽き性です。(だと思っています)

熱しやすく冷めやすい。物事が長く続かないです。

続かない事が嫌なわけではないのですが、

長く続けることで見えてくることもあるのではないかと思います。


ふと、今長く続いている物は何かと考えたとき、

仕事           
ダンス(動きをまねる程度)
読書           
水泳       
ジム    

今思いつくのはこれですね。

「ダンス」ですが、

過去不登校の期間(4,5年)があり、

その時家でひたすらボーカロイドの踊ってみたを

真似して踊っていました。

5年も真似をして楽しんでいた影響か、

割と動きを短期間で覚えられる能力が付きました。

今も踊ってみた動画はよく見て、真似て楽しんでいます。

(決して、人前で披露できるようなものではありません)


これらに、共通している事は何かと考えてみたとき、

明確な目標を持っていなかった(持っていない)

でした。


例えば、最近熱して冷めてしまったのが

ボルダリングです。

最初は、「上手に上りたい」「このレベルを登れるようになりたい」

という目標がありました。

その目標を達成するため、毎週通っていました。

ただ、「~たい」の中に「うまく登らなければ」

「このレベルが登れないと恥ずかしい」という思いも含まれていました。

これが、自分の中で「義務」になり

それが心のモヤモヤに変換され、離れてしまいました。


続いていたものは、

仕事  →休まずに行く。地位にこだわりは今はない。 
ダンス →踊るのがただ楽しい。一人で楽しむ範囲で十分
読書  →活字を読むのが好き。    
水泳  →大会に出たいわけでもない。習い事という習慣としてやってた   
ジム  →見た目にこだわりはないが、ただ動ける身体ではいたい。
     持ち上げたい重量は今のところない。疲れるが苦しくはない。

こうみると、ふわふわしているなと思いますし、

誰かからふざけるなと言われそうですね…

ただ自分の中では、明確な目標がないから「こそ」

その中で自由に動けるのかなとも思いました。

何かのためにするというよりかは、

楽しいから、習慣になっているから、苦ではないから、

今感じている感覚が心地よいまたは苦ではないから続くのかもしれません。

未来のために動くというよりは、

今のために動いて、それが未来に繋がったらいいなと思っています。


目標は決めていませんが、楽しいと思えることを積み重ねます。






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