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【最初の壁】ASD・ADHDの衝動性について

今日は1日中泣いている。

天気もあいにくの雨、散歩をしようという気持ちにもなれず1日ベッドで天井を見つめている。
この涙は単なる悲しいから、だけではなさそうだ。
絶望、虚無感、寂しさ、孤独…そんなところか。
このどうしようもない複雑な気持ちを少しでも整理したくて、noteを書き始めた。
昔から日記を頻繁に書いていた。書いていくうちに心の整理がついて、自分の気持ちに気づいて、すっきりすることが多かったから。ここで何か少しでも整理できればいいなと思う。


ここに来て幸せになるはずだった。
彼に発達障害があることも事前にわかってた。わかったうえでここまで来た。
彼はASD・ADHD併発のいずれもグレーゾーン。そんな彼はとても面白味のある人だ。前もって色々と話して聞かせてくれた。
バツ2であること、この障害もあって人付き合いがうまくいかないこと、掃除がこまめにできないこと、料理ができないこと、白黒思考であること、職場でも上司に向かってはっきり意見してしまうこと、それで何度もトラブルになったこと、バイトは1日でよくクビになっていたこと…書き出したら止まらない。

それでも彼の人間性や、性格や、とても優しい人柄に惚れて婚約した。だから全てを捨ててここに来た。家も引っ越し、仕事も辞めて、友人ともとお別れを告げた。知り合いも誰もいない、初めての土地で彼と幸せになるはずだった。

今も幸せといえば幸せだと思う。
いや、昨日までは幸せだった。

個性的で変わってる人は好きだ。
私は彼とは対極で、常に人の目を気にして生きてきた。無意識に「相手はいま何と言ってほしいか」を考え言葉を選んでしまう。だからこそ彼の、のびのび自由に生きている様が眩しく感じた。お互いにないものを持っていると感じた。

私は昨日まで、障害についてそれなりに楽観的に受け入れていたと思う。ズレているところもむしろその考え方の違いを楽しんでいた。

どうして今日になってここまで気が滅入っているか、それは「暴力」だ。

昨晩飼い猫が粗相をしてしまった。今に始まったことではない。彼は怒りに身を任せ怒鳴り散らし、猫を叩き、蹴り、「足折ってやろうかな」「◯してやろうかな」などを呟いていた。彼曰く、こうなってしまうと自我を失ってしまうらしい。私はとても見ていられず「やめて!」と彼の腕を何度も引っ張った。その手も振り払われ執拗に猫を追いかけ回した。私は猫に覆いかぶさって身を挺して守った。頭の中でぼんやり「これは子育てなんて無理だなぁ」と思った。怒りが収まったあと「猫の足を折れたかも」というのでおそるおそる猫の体を触った。猫は怯えてしまっており部屋の隅でペタッと横になっていた。足に熱を持っている気がした(翌朝なんの問題もなく走り回っていたので骨折はしてなかった)。彼は何事もなかったようにアニメを見ていたのでさすがに問いただした。「今話せる?アニメやめられる?」「怪我させるのはやめて、お願い、約束して」とその場しのぎの口約束だけ交わした。意味なんてないだろう。だって彼自身が「カッとなるともう自我を失う」と言っていたから、こんな約束に意味なんてないのはわかってた。ただ、今の私には抑えきれない怒りがあるのはわかってほしかった。

どこまでを発達障害として納得して
どこから注意したらいいんだろう。

ADHDには、「短気」だとか「衝動性」があるという。時には「暴力的になる」と。彼はこれが過剰だ。カッとなると物に当たるのは日常茶飯事、見ず知らずの人と些細なことで喧嘩沙汰になったり、職場でキレて机を蹴飛ばしたり、体や顔に傷をつけて帰ってくる方もしばしば。障害と加えて、元々喧嘩っ早い性格も相まってだろう。
別に警察に迷惑をかけなければ、好きにしなと思っていた。体に傷がつこうが止めないし、好きに生きたらいい。

でも猫だけは許せなかった。
今も猫が私のそばでスヤスヤと寝ているが、こんなに可愛い生き物を怯えさせて傷つけられる気持ちが理解できない。
書いていて気付いたのだが、彼は暴力を私にアピールしているように思う。自己顕示欲なのだろうか?

彼は「カッとなってしまうところは治したい」と口では言うが、本気で治そうとしていないように思える。
本気で治したい人はそのままにしないのでは、治療に行ったり自分で工夫したりするのでは?でもそう言うと「全部試したけどだめだった」「意味なかったからやめた」と返された。だからといってそのままにしていいのか?もう諦めたのか。少なくとも、他人と、猫と、一緒に生活するのであれば治してもらわないといけない。

「障害のせい」と一口に言われるが、確かにそれもあるかもしれない。「俺だって普通になりたいんだよ」とよく口にする。
ただ私も人間だ。このまま治らないようであれば別居も一つの手か。

いいことを思いついた。

猫は2匹いるのだがどうも猫同士の相性が良くない。いじめられている1匹はたぶんそのストレスで何度も粗相をしてしまう。ちょうどいい。私がこっちで仕事再開できて収入も安定したら、1匹ずつばらばらにして、私もどこかアパートを借りて、別居しよう。
猫に振るっている暴力は、きっといつか私にも降りかかってくると思う。
全てを彼に捧げた覚悟はしていたが、人生いつからでも選択し直せると思う。
どんなに良い人でも暴力だけはだめだ。

彼はバツが2つもあるせいで、もう結婚は諦めていたと言っていた。もう諦めて、なるべくそういうものから避けて生きていこうと、人里離れた集落で猫とのんびり暮らしていたという。
だからこそ、もう一度人を信じて、離れられることをとても怖がっているるなと感じる。孤独を誰よりも恐れている気がする。いうなれば私が勝手に転がり込んできたのだ。

でも、誰だって人を信じるのは怖いじゃないか。

それを乗り越えて、自分を愛し、愛する人のために自分を変える。なんだか彼は被害者ヅラしているように思えてきた。確かに障害と付き合っていくのは計り知れないほど辛いと思う。これまでも辛かったと思う。でも周りのせいにしたら終わりだ。自分でも変わろうとしなければ成長も改善もできないのではないか。土台にもたてない。

何が一番なのが、彼に聞こう。
私といることというのであれば、まず暴力は改善してもらう。もちろん一方的に変わってもらうことは期待してないから、改善策を一緒に考える。長く苦労するだろうが、私はその覚悟も持って今ここにいる。

絶対に自分を変えられない、というのであれば私は去るしかない。

きっと私は、逃げの選択肢を用意してなかったから孤独だったんだと思う。
仕事を退職して、引っ越しまでして同棲したのに、即出戻りしたらきっと友人たちには一生ネタにされるだろう。でもそれはそれで良い。自分が幸せになる選択肢は、自分だけは諦めちゃいけない。笑い話大歓迎だ。

裏を返せば、暴力性さえ改善されれば一緒にいたいと思う。彼は面白い人間だし、とても変わっていて、とても優しい。

帰ってきたらこの気持ちを伝えよう。
どうか殴られませんように。

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