見出し画像

「軽井沢のセンセ」からの暗号(36)〜ついに能登半島へ・・・!!!

石川県への道

 どうしてもご縁が深い場所でなければ、申し訳なくて、珠洲(すず)や輪島に伺うことはできなかった。

 気になってはいても、何か不用意なことを言ってしまうのでは、と心配だった。

 所詮は、日常の日々を生きているにすぎないひろこに、実際に被災されあらゆるものを失われた方々のお気持ちを、どこまで、本当の意味で理解できるのか。

 祈るような気持ちで、勇気を出してJR金沢駅からの特急のバスに乗り、現地に向かった。

 珠洲(すず)。

 能登半島の先端にある、ずっと昔に訪れた、美しい海と緑。

 見附島(軍艦島)近くで泳ぎ、あまりに透明な海の記憶が今でも残っている。形が変わってしまっても、ずっとそこで待っていてくれた。

 町中は、今やひび割れた壁や片付いていない瓦礫、斜めになってしまったままの神社…。

「建物は’ちょっと‘壊れちゃったけど」と、秋祭のため、全壊した神社の前に地域の方々が集まられていた。

 見えない存在に感謝されるという、廃れかかっている大切なことを、どんな時も継承して下さる皆様を、皆で何とかお守りせねばならない、と思う。

 自身の甘さや恥ずかしさをいつも以上に痛感したが、

 それでも皆様は「来てくれてありがとう」と笑顔で迎えて下さった。前を向いて、笑うしかないのだ、という。

 ずっと、悲しみや今後の不安やストレスを抑えておられるのだろう。

 しかし少しすると、ポツリポツリと話してくださる。

「マスコミは来てくれて有難いけど、同じところやひどいとされる所だけで、うちのところは誰も来てくれない」

「本当に崩壊したところは、そこの道をいった、もっと奥にあるのに」

「中々解体作業が進んでいなくて、これからどうなるのだろう」

「息の長い支援をお願いできたら」。

 いくらあっても足りないとしても、もっと稼いで、せめて応援を、と思う。

 久しぶりに石川県に伺えたことは嬉しかったが、大切なことは、大変な思いをされておられる皆様が、来てくれてよかった、と思って下さることだ。

 力もお金も十分にあるわけでもないのに訪れて、何か少しでもお役に立てたのか、逆に傷つけたのではないかと、思い返す。

 ちょっとした手土産をお渡しした時の輝くような笑顔を思い出し、心の慰めとしている。

いいなと思ったら応援しよう!

たきのさくら
陰徳という言葉もあり、ご寄付が全てではないとしても「できることから、できるかたちで」はいま必要と感じます。街中等で、能登の物産や募金箱を見かけられましたら、あたたかいお気持ちを、どうかよろしくお願い申し上げます。こちらへのチップは、能登方面へお送り申し上げます。有難うございます。