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「軽井沢のセンセ」からの暗号(8)〜変化☆真田幸村を追って大阪城→西と東の融合へ

西と東と人生の交差点

 その文章に、東と西という、本当に好きなテーマを書けたお陰様で人生の転機となり、東日本から西日本へのご縁が深まった。その後、大阪城の近くで、英語のアルバイトをさせて頂くことになり、大阪市内に家を借りて東京と大阪を行ったり来たり、合間に西日本を旅しながら、古事記、空海さま・最澄さま、聖徳太子さまのお勉強をさせて頂いていた。

 当時のアルバイトは後にすることになるが、父方のご縁で土豪出身の武将、真田幸村のことをよく調べていたから、本当に大阪城の近くに来てしまったなあと、嬉しい驚きに、日々感謝していた。アルバイトが一区切りついたので、東京に戻るという選択肢もあったし、そうならざるを得ない現実もあった。

 しかし、せっかくはじまった東と西の融合のテーマに対し、何も果たせずに、スゴスゴと、また東に戻ってしまうことが非常に悲しく悔しくて、大きな心残りになりそうだった。

 どうなるかはさておき、出来ることをすべてやった。いろいろな方々のお陰様で、ついに枚方市楠葉に引っ越し、西の関西方面にもう少し残れることになった。西と東を行き来するという夢は、現実のものとなっていた。

 それが7月のおわりで、親の協力もあり、新たな部屋で荷物を受け取り、段ボールに囲まれつつ、新生活をスタート出来た。ようやくホッとした、その瞬間、軽井沢に行きたくなった。ここ数年、東と西のテーマを追って、東京と大阪、旅と旅の移動の連続で、よく覚えていないほど忙しく、軽井沢は久しぶりではないだろうか。

 8月のはじめ、再び軽井沢にやってきた。確か、夕食を頂き、さあ明日はどうしよう、と思っていた時だ。熱いファイトの日々の後、涼しい環境で、ようやく何かを考えられるようになり、これからどうしよう?と思った。

 そもそもひろこは翌日の計画さえ立てられていなかった。せっかくの軽井沢、まずは、全てがはじまった、あの記念館に、お礼もかねて、作品をもって行きたかったけれど、あまりにバタバタしており、本は手元になかった。あきらめきれなかったが・・・、仕方ない。

 故郷日本といえば、年々ゆとりがなくなっていく感じだ。本当に大変だから、何かしたいけど・・・お金や時間に余裕がないと、なかなかね・・・。

 これまでも、一度就職した後の留学のお蔭で、新たな仕事に就くことが出来たものの、人生の流れで、途中で方向転換、職場を後にしたことがあった。周りからは、ただ飽きっぽい、我慢が足りないと思われていたことだろう。自分なりにもがいているのに、フシギな人生と思われているらしいことが正直つらく、もっと無難な、まとも、と思われる人生を生きたかった。

 日本や世の中のためというよりも、自分の人生の立て直しが先だよね、とため息まじりに思った。

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たきのさくら
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